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Replying to @DAM_RED777
どんな食べ方をしても美味しいと
個人でする分には満足できればそれでいい。
人それぞれ好みもあるし
美味しいものは美味しいし
美味しいかどうかで食べ方を
とやかくいう話でもないし、
これはこうするものだと
決まりきった王道を押しつけ
相手の食べ方を否定したいわけでもない。
でもね…何が大事かっていうと
そういうことなんだよね。
料理でもどこの世界でもね(vv)
DAM「声の赤魔道士RED」 retweeted
Replying to @MASAYAHARA734
ʅ(๑ ᷄ω ᷅ )ʃ💭ヤレヤレ
カウンターのつもりだろうけど、
法律分かってないね。
Grok君にでも聞いたんだろうけど
ハルシネーションって知ってるかな?
そこがAIの限界であり、AI過信して出す
あなたの事実誤認なんだよ。
まぁ結論から言うと侮辱罪(刑法231条)の適用可能性は、文脈次第で成立しうるが、必ずしも確実ではないというのが実情ですね。
刑法231条ってのは「事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者」を処罰する規定。Xの公開投稿は原則として公然性を満たし、抽象的な軽蔑表現(「バカ」「クズ」など)でも成立し得ます。
ただしね、あなたに別のリプで補足説明して差し上げた文字だけのSNSが、ここにも判断の材料になってくるんだよ。
あなたがわざわざリストアップされている「読解力なさすぎ」「コミュニケーション能力ない」「反知性主義の見本」などの表現は、まさに文字の切り抜きなわけだよ。それが本当に侮辱罪に当たっているかは、言葉そのものではなく、言葉がどのように使われているか。 その背景と前後の文脈が当然判断材料になるわけだけど、私はあなたと違って、議論では基本的に投稿内容に対して。 言葉を選んで発言しているのであってSNSあるあるな、議論で負けが確定すると、相手の人格攻撃が始まるみたいなことにはならないわけだよwww
音楽作品の解釈をめぐる議論の中で相手の主張や理解力を批判するものとして捉えられやすく、純粋な人格攻撃(例: 単純な「ばーか」や性的下品表現の繰り返し)と比べると、意見・論評の範囲内と判断される余地があるってこと。
リーガルマインドに基づいて、もう少し法律的な言葉で説明してあげると裁判所は投稿の前後関係・目的・表現の程度を総合的に見て「社会通念上許される限度を超える侮辱か」を判断するため、単に「強い言葉がある」だけでは確定しません。むしろ、その判断のために、前後の文脈としてあなたのこれまでの拙い残念なコメントが並ぶとむしろ、あなたの不誠実なコメントの数々の方が問題視されこの侮辱罪もはじめ他の余罪適応可能な可能性があり追求の要素に十分なり得ますし逆に裁判所がその判断をする過程であなたの余罪を確定する確率の方が非常に高いと思いますよwww😅。
僕は相手の言葉遣いやこちらへの態度に合わせ残念な人には厳しいトーンで塩対応しておりますがああなたと違いきちんとこ言葉は選んでますのでたただの相手への人格攻撃はしないのですよ。
あなたはか昨日はともかく今日はただの人格攻撃に走ってしまった。この事実をきちんと受け止めてください。大人ならこれこそ自分の過ちを謝罪しても然るべきかと思いますが😅
法律もしらずに負け惜しみでこんなこと言ってたら侮辱罪だけだと思ってるみたいですけど余罪増えますよ?
おい、ちょっと待ってくれよwww。
あなたのこの投稿、「おーい、ばーか」って二回も書いて、さらに「ヤリ逃げヤリチンポコチン」って何度も繰り返してるじゃん😅。まともに議論も出来ず、こちらの反論コメントが気に食わなくて侮辱罪だと、法律分かりもしないのに法律チラつかせて威圧してくれた割にGROK君にこちらの発言に侮辱罪の該当なしと突っ込まれて終わってましたけど、あなたのこのこの発言こそが、ただの感情的な言い返しじゃなくて、ちゃんと侮辱罪の構成要件に当てはまる内容なんだよ。
刑法231条の侮辱罪って、事実を摘示しなくても「公然と人を侮辱した」だけで成立する。公然性はXの公開投稿で完全に満たしてるし、わざわざ引用投稿してるからその対象が僕だとアカウントも特定して、引用リプで直接向けてる。で、中身が「ばーか」と性的な下品な造語で相手の人格そのものを下げてる。これがまさに「事実を示さずに相手を貶める」典型例だよ。勉強になるでしょ?
実際、法務省が公表した事例でも「馬鹿じゃ」とか「ばかが」って言っただけで科料や罰金になってるケースが普通にある。ましてや「ヤリ逃げヤリチンポコチン」みたいに性的に下品な表現を重ねて「逃げた」「ヤリ捨てした」みたいに人格を攻撃してるのは、ただの意見表明の範囲を明らかに超えてる。僕が書いてたのは作品の読み方の話で、あなたの個人的な性癖や人格をどうこう言ってるわけじゃないのに、いきなりそっちに持ってきて下品な言葉で叩いてくるのは、議論を放棄してただの悪口に落としてるだけだろ。
引用って分かるかってお前が言ってるけど、引用した上で「ばーか」「ヤリチンポコチン」って付け加えた時点で、もう引用の範囲を超えてる。気に触ったなら大元の音楽投稿の具体的にどこがどうおかしいのかを指摘すればいいのに、それをせずに人格攻撃に逃げてる。これが「話が終わってない」って主張の根拠になってる時点で、論理的に破綻してるよ。
要するに、あなたやってるのは「自分のポストを批判されたことに腹が立った」っていう感情を、相手を下品に罵倒することで処理しようとしてるだけで、それ自体が侮辱罪の要件を満たしてる。もし本気でこれが正当な反論だと思ってるなら、どこが「意見の表明」でどこからが「人格攻撃」なのか、具体的に説明してみな。できないなら、この投稿自体が既に違法な侮辱になってるってことだよ。
元はと言えばそちらから、曲もちゃんと聞いてないのに、赤の他人がミセスのシンデレラの話題に突っ込んできておいて反知性主義だとか、小難しい言葉を羅列するだけで、まともに会話もできずあなたのやってること自体が迷惑行為だからね?ちなみにこれ以上の残念なコメント発信して醜態さらすのはやめた方がいいと思うよ。もちろんわざわざこの発言をコメントで出しているのもちゃんと意味があるからね。裁判する時には、内容証明郵便を送ったりするんだけどこれは次の構成要件を満たすための警告だからね。
SNSでのマナーは大切に。自分の過ちはきちんと認めて謝罪するのも大事ですよ。ひ
以上。
「子どもの将来を守れ」には賛成です。
でも「だから実在の子役をAIに置き換えろ」では、
少し話が飛躍していませんか?🤔
う~ん…これはまた子役の権利保護という
正当な論点ですよね((+_+))
まず、子役の将来のプライバシーや、
出演した作品によって不当なイメージを持たれる
可能性を慎重に検討すべきだという点には、
僕も賛成です。
そこは制作側が責任を持つべき問題でしょう。
ただ、今回僕が論じてきたのは
「子どもが夜職の存在を知ること」と
「夜職を推奨すること」を混同してはいけない、
という話です。
一方、あなたが提起されたのは、
子役本人の出演に伴うリスク。
これは別の重要な論点。
ですが…せっかくですし具体的に考えてみましょう。
今回の子役は、夜職に従事する子どもを演じているのでしょうか?
そうではなく、「主人公の幼少期」という物語上の役割を担っていますよね。
「大人になった主人公が夜職で働く物語に出演した」ことと、「その子役自身が夜職と結びつけて評価されるべきこと」はまったく違います。
もちろん、世の中には悪意ある切り抜きや、
出演者への不当なレッテル貼りもあります。
だからこそ、制作側には出演内容の説明、本人と保護者の意向確認、プライバシー保護、公開後の対応まで含めた配慮が求められます。
しかし、そこで一つ疑問があります。
「将来、誰かが勝手に悪いイメージを持つかもしれない」ことを理由に、実在の子役を出演させるべきではないとしたら、社会問題や犯罪、貧困、家庭の葛藤を扱う映画にも、子どもは出演できなくなりませんか?
映像作品には、子どもが大人の世界の矛盾を目撃したり、過去の記憶として登場したりする演出が数多くあります。必要なのは子役の一律排除ではなく、出演する子どもの利益を優先した個別のリスク評価でしょう。
また「AIを使えばいい」という提案も、
万能な解決策ではありません。
これはまたAI論争突入したら泥沼のとんでもない方向に論点が移りますからね(^_^;)
架空の人物なら実在の子役への負担は避けられます。
でも、AIには学習素材の権利、実在人物への類似、映像表現の品質といった別の検討事項がある。
「AIなら安全」も「生身の子役なら危険」も、技術だけで結論を決める発想になってしまいます。
そして「国際的には無理筋」という点について、まずREDの外の人が知る範囲で先に海外の子役保護制度を少し補足しますね。🌍
例えば米国カリフォルニア州では、子役の就労許可、撮影時間の制限、教育や安全を監督するスタジオティーチャー、出演報酬の信託保護などが制度化されています。
英国でも、一定の出演には自治体の許可が必要で、保護者などが付き添わない場合には認定された付き添い人による監督が求められます。
フランスでも、16歳未満の子どもが映画や映像制作に出演する場合、原則として事前の行政許可が必要です。
つまり、海外の制度は「実在の子役を使うな」ではなく、「実在の子役をどう守って出演させるか」を重視しているんですね。
もちろん、出演後のプライバシーや将来への影響も重要な問題です。ただし、その懸念だけでAIへの置き換えが国際標準だとは言えません。
「国際的には無理筋」とおっしゃるなら、具体的にどの国の、どの法律や制作基準に反するのかを示していただきたいですね。海外の子役保護を引き合いに出すなら、まず海外の制度そのものを正確に理解する必要があると思います。国際的に子どもの権利保護が重視されることと、実在の子役を使うこと自体が不適切であることは同義ではありません。
僕はミセスの制作判断を無条件に正当化したいわけじゃありません。実際に子役への説明や保護が不十分だった事実があれば、それは厳しく検証すべきです。
でも、配慮が必要であることと、配慮がなかったことは別です。現時点で確認できない制作上の問題を、起用したという事実だけで断定するのも違うでしょう。
子どもの未来を守ることは大切です。
だからこそ僕は、子どもが芸術に参加する機会まで、
想像上のリスクだけで奪ってしまうことにも慎重でありたい。
「子どもを守る」とは、子どもを作品から消すことじゃない。子どもの権利を守りながら、安心して表現に参加できる環境を作ることだと思います。🎸
そうですね。
まさにこれがそうでしょう。
マンスプレインの本質が
「相手を知らないと決めつけて上から説明する」ことなら、 相手の文章の中身を読まずにジェンダーの型で切り捨てて
ラベル貼りをしたあなたはいったい?
【楽譜も読めないのに、なぜミセスの曲はこんなに難しい? 大森元貴がひっくり返す「音楽理論」の常識10箇条🤔🤔🤔】
「楽譜が読めない? じゃあ、あの複雑な曲はいったい誰が作ってるんですか?🤣🎹」
Mrs. GREEN APPLEの大森元貴さんは、自分では譜面を読めず書けないと公言しています。
でも『ライラック』『ダンスホール』『ケセラセラ』『Soranji』を聴けば、単純な曲ばかり作っているわけじゃないと分かるでしょう。
音楽を作る僕が面白いと思うのは、音楽を説明する能力と、生み出す能力は必ずしも一致しないということです。
①【楽譜は設計図。でも音楽そのものじゃない📖】
五線譜は音高やリズムを共有する優れた記録方法。でも、耳で構成を組み立て、音源で伝える方法もある。図面が読めることと、美しい建物を発想できることは別なんです。
②【理論を知らなくても、理論は働く🎼】
コードの名前を知らなくても、響きの緊張や解決は耳で選べる。ただし、読譜が苦手なことと、音楽理論を一切理解していないことも別。理論は音楽の許可証じゃなく、音楽を理解するための言語です。
③【『ライラック』のイントロは、ギタリストへの挑戦状🎸】
若井滉斗さん本人が、デモを聴いて運指に悩んだと語る難しいフレーズ。タッピングとアルペジオが入り交じります。でも大切なのは速弾き自慢じゃない。技巧的なイントロそのものが、曲を記憶させる強烈なフックになっているんです。
④【『ダンスホール』は、歌もリズム楽器🥁】
ベースとドラムの躍動だけでなく、歌の言葉がどの拍に乗り、どこで跳ねるかを聴いてほしい。踊れる曲は、伴奏だけで踊らせるわけじゃない。歌の譜割りもグルーヴを作るんです。
⑤【『ケセラセラ』は、高音だけが難しいんじゃない🎤】
旋律の起伏、言葉のまとまり、フレーズを支える呼吸。歌い手は次の音だけでなく、その先の言葉まで設計しなければならない。高い音が出せることと、一曲を自然に歌い切れることは別なんです。
⑥【『Soranji』は、音を増やす意味を知っている🎻】
ストリングスに、2番から重なるクワイヤ。大森さんは賛美歌のような神聖さを構想し、EFFYさんと編曲しています。壮大だから感動するんじゃない。何を伝えるために壮大にするのかが重要なんです。
⑦【作詞と作曲、どっちが先? 両方です🗣️】
大森さんはDTMでトラックを作り、鼻歌から旋律と歌詞が同時に出てくる制作法を語っています。言葉の長さ、母音、リズムを一緒に考えられる。歌詞を後から無理に音符へ押し込む必要がないんです。
⑧【転調も変拍子も、飽きさせないための武器🔄】
本人は、制作中に飽きないよう拍子や調を変えると説明しています。ただし、複雑にすれば名曲になるわけじゃない。変化の価値は、難しさではなく、聴き手の期待をどう動かすかで決まります。
⑨【一人で作れる。でも一人では完成しない🤝】
大森さんの音源を聴き、若井さんと藤澤涼架さんが演奏へ落とし込む。そこには運指、音色、身体的なニュアンスという別の創造性があります。作曲家の発想を、演奏家が現実の音に変える。これもバンドの凄さです。
⑩【「天才」の二文字で、仕事を終わらせるな🔥】
僕が大森さんを評価するなら、楽譜が読めないことでも、難曲を書けることだけでもありません。
大衆が口ずさめる入口を作りながら、和声、旋律、編曲には聴き込むほど発見できる奥行きを残すこと。
本人も「間口を広げては奥行きをつける」という制作思想を語っています。
もちろん理論や読譜は学べば大きな武器になります。不要だと言いたいわけじゃない。でも理論を知っていることを、創造性そのものと取り違えてはいけない。
「音楽理論を知っている人が、必ず名曲を作れるわけじゃない。でも名曲には、理論で解き明かせる仕組みがある。」
僕ら音楽家が学ぶべきなのは
「天才だから」で思考停止することではなく、その人が実際に
音で何を実現しているのかなんです。🎸✨
#MrsGreenApple
「被害者を守る」と言いながら、その傷を拡散していませんか?
ぶた太郎さん、あなたは僕の長文返信を「傷ついている人への配慮がない」と批判されていますが、だったら一つ聞きたい。あなたが本当に守ろうとしているのは、当事者の心ですか? それとも、当事者を守っているという自分の正しさですか?
まず大前提として、僕の文章が長すぎる、傷ついた人には負担になるという指摘自体は理解できます。実際、善意であっても相手の心理状態や受け取る余裕によっては、言葉が負担になることはある。だから僕の返信だって批判の対象になり得ます。
ただし、ここからが重要なんですよ。
あなたは当事者への通知を避け、僕の返信も読めないようにしたことを配慮だと説明されていますね。それ自体は一つの配慮でしょう。しかし、「本人に通知しないこと」と「本人の苦しみを拡散しないこと」は、まったく別の問題なんです。
SNSの引用投稿には、元の発言を新しい閲覧者へ届ける機能があります。つまり、本人への直接通知を避けたとしても、引用によって新たな人々が当事者の告白へたどり着く可能性は残る。さらに第三者による再引用やスクリーンショットなど、投稿者自身が制御できない経路も生まれる。
これがSNSの二次拡散という構造です。
もちろん、引用批判がすべて悪いわけではありません。問題のある発言を可視化して注意喚起する必要がある場合もあるでしょう。しかし今回は、極めて個人的な苦しみを吐露している当事者が存在する。だったら、批判する側にも、その人の告白をどこまで広める必要があるのかという判断が求められるはずです。
僕の返信を問題視するなら、当事者の投稿を引用せず、僕の発言だけを対象に批判する方法だってあるでしょう。
あなたが僕の文章を不適切だと考える自由はあります。でも、その批判を正当化するために、当事者の繊細な告白まで新しい観客の前へ運ぶ必要があったのか。そこを問うているんです。
そしてもう一つ。
あなたは「長文を送りつける神経が分からない」と言いますが、文章の長さと加害性は同義ではありません。短い言葉でも人を深く傷つけることはあるし、長い文章でも誤解を避け、相手の事情を丁寧に扱おうとする場合がある。
本来検証すべきなのは文字数ではなく、何を伝え、何を否定せず、どんな心理的負担を与え得るかでしょう。
長文だから無神経、短文だから配慮がある。そんな単純な話ではないんですよ。
僕自身も、自分の言葉が相手にどう届くかについては常に考える必要があると思っています。だからこそ、他人の配慮を批判する人にも、自分の行動が生む影響を同じ基準で検証してほしい。
正義感というのは、持っているだけでは免罪符になりません。
誰かを守るつもりで始めた批判が、結果としてその人の望まない注目を集めてしまうことだってある。これは僕にもあなたにも当てはまる話です。
本当に当事者を尊重するなら、まず当事者の意思を勝手に代弁しないこと。そして、自分の正しさを証明するために、その人の苦しみを必要以上に利用しないこと。
あなたが僕を批判するのは自由です。ただ、「自分は配慮した」と説明することと、「実際に配慮が十分だった」ことは違う。
他人の言葉の危険性を指摘するなら、自分の拡散行為が持つ危険性にも同じだけ厳しくあってほしいですね。
僕が問いたいのは、あなたの善意の有無ではありません。あなたの思い込みの主観的常識を前提に具体的な根拠も示さず、これがモラハラで暴論と言われるのも心外ですし。
その偽りの善意が、当事者を守る行動として本当に機能しているのか。そこなんですよ。そしてこれは確かにあなたの言うとおり本来意図しない余計なダメージを大元にもたらしたかもしれません。
これもまたあなたの綺麗事での余計なお世話から生まれた僕のアクションです。
これだけは引用元に申し訳ないと思いますがいわゆるセカンドレイプ状態に気付かぬ加害者に知らしめるための僕の罪ですね😅この投稿の問題がそのままあなたの問題点そのものということを。
【「長文は浅い」と言う人ほど、なぜか中身に反論できない10箇条🤔🤔🤔】
「長い!」「浅い!」「短く書け!」…
っていやその短さが誤解を生むから長く説明してるんですけどねww🤣
SNSは基本的に言葉だけで意思を伝える世界。でも言葉って厄介で短くするほど解釈の余地が広がることがある。
もちろん短文が悪いわけじゃない。
ただ複雑な話を無理に圧縮すると、前提や条件が抜け落ち、「書いてもいない意味」を読み手が補ってしまう。そこで起こるのが、僕がSNSで最も恐れている「勝手に解釈して、勝手に怒って、勝手に反論する」というおバカさんによるセルフ論破劇場ですwww😅。
①【文字数は数えるが論点は数えない】 「長い!」と即答。でも、どの主張が間違っているのか聞くと具体性がない。文字数の批評と内容の批評は別物ですよ🤣
②【「浅い」の二文字で評論家になれる】
前提の誤りも因果関係の矛盾も指摘せず「浅い」。便利な言葉ですね。音楽なら「この曲ダメ!」で評論を終えるようなもの。せめて何がどうダメなのか説明しましょうよwww。
③【短くすれば正確になるという謎の信仰】
要約とは意味を維持して無駄を削ること。必要な条件まで削れば情報欠落です。手術時間を短縮するために麻酔を省くような話で、効率化と手抜きは違います。
④【言葉の空白を、自分の妄想で埋める】
例えば「歌唱技術だけで歌手の価値は決まらない」と書くと、「歌唱技術なんて不要と言ってる!」と怒り出す人がいる。いや、一言も言ってません🤣。
書かれていない主張を勝手に作るのは読解ではなく創作活動です。
⑤【自分で作った敵を、自分で倒して勝利宣言】
これが一番厄介。相手の主張を歪めて攻撃しやすい形に変えるストローマン論法(相手の意見をすり替えて反論する詭弁)です。僕が言っていないことを僕の主張にして、それを論破して大喜び。おめでとうございます。でも、その試合、対戦相手も審判もあなた一人ですよwww。
⑥【説明を省けば怒り、説明すれば長いと怒る】
短く書けば「根拠は?」。詳しく書けば「長すぎる!」。じゃあどうすればいいのか。説明を求めるなら、説明を読む姿勢も必要でしょう。
⑦【文脈を切り取ると、誰でも悪役にできる】
「この歌唱には改善点がある。ただし作品の表現として成立している」という文章から前半だけ抜けば批判、後半だけ抜けば擁護に見える。SNSでは引用の切り取り一つで意味が逆転する。だから僕は前後の文脈を大切にしたいんです。
⑧【読みにくいと、内容が間違っているを混同する】
長文が読みにくいという指摘は成立します。僕だって改善の余地はある。でも、読みにくさは文章構成の問題で、内容の正誤とは別。読むのが面倒だから間違い、なんて論理はありません。
⑨【理解する前に反論を準備している】 相手が何を伝えたいかより、どこを攻撃できるかを探す。こうなると会話ではなく勝敗ゲームです。SNSの承認欲求が議論を競技に変えてしまう。相手の意見を理解することと、賛成することは違うんですよ。
⑩【短く書けると言いながら、短く書いてくれない】
「三行で十分!」と言うなら、前提、根拠、例外を維持して三行にまとめてみてくださいww。僕もぜひ勉強したい。
単に削るだけなら誰でもできます。
意味を失わず削るから技術なんです。
僕は長文が偉いなんて思っていません。短く鋭い文章も大好きですし、僕自身、喋り出すと止まらない悪癖があるのは自覚しています🤣。
ただ、SNSで怖いのは、言葉足らずの空白を相手の想像で埋められ、いつの間にか自分が言ってもいない発言の責任まで問われること。
だから僕は、誤解されそうな前提や例外をできるだけ言葉にしておきたい。
それでも万人に正確に伝わる保証はありません。長文でも誤解は生まれるし、悪意ある切り取りを完全には防げない。
でもね、「短く書け」は文章への助言になっても、「長いから浅い」は内容への反証にはならないんですよ。
大体この手のセリフで噛み付いてくる人は自分のこと棚上げで文章能力も乏しく知識もあまりない人が多いですw
こちらの文章をちゃんと読み解ける力がないから、そんなこと言うんですけどねw
ちなみに今回も10箇条にしたら長くなりましたwww😅。
臆病に石橋を叩き過ぎて渡り僕の文章が長いのは改善課題w。
でも書いていないことまで読んで怒るのはもはや読解力じゃなくて超能力の問題ですwww🤣
通りがかりで気になったので…👀
「自分を愛せるようになったら、
それで何が解決するの?」
僕は、この問いを軽く扱うべきではないと思います。
まず、あなたが実際に近い世界を経験し、MVやメイキングまで見たうえで、そこまで強い苦痛を感じたということ。その声を「考察が足りない」「作品を理解していない」で片づけるつもりはありません。
僕はこれまで、大森元貴さんが『シンデレラ』で描いた、誰かに選ばれることと自分自身を認めることの違いについて、肯定的に考察してきました。
ただ、ここで重要に思うのは、それは
「自分を愛せば人生の問題が解決する」
と言っているわけではないんです。
夜の仕事に関わる人が抱える事情は、
経済的な問題、人間関係、社会的な偏見、
労働環境など、人によってさまざまです。
自己肯定だけで解決できない問題がある。
それは当然だと思います。
そして、あなたが指摘した
「父親の手と男性の手を重ねる演出」。
僕には、過去に求めた安心感と
現在の人間関係を重ねる表現として
読む余地があるように見えます。
でも、制作側が何を意図したかと、
当事者がその映像をどう受け取るかは別です。
その重ね方によって、女性の複雑な経験を
安易な愛情不足の物語に見せてしまったのではないか。そういう批評には、十分向き合う価値があります。
ただし、映像中の男性が具体的にどういう関係の
人物なのかは断定できる描写と推測を分けたいですね。
大森さんが実際に夜職経験者へ取材したことも
確認されています。でも取材したから当事者全員の
感情を理解できるわけではありません。
同時に男性だから女性の物語を描く資格がない
とも僕は思いません。
問題は誰が描いたかだけではなく、
「何をどう描き、その表現がどう届いたか」です。
僕はこのMVの構成や主題には創作上の意義を感じています。それでもあなたのように傷ついたと訴える人の声まで否定するつもりはありません。
むしろ音楽を作る側として、
考えなければならないことがあります。
「希望を描いたつもりの作品が、
なぜ誰かには絶望的に感じられたのか?」
これは、制作者にも批評家にも突きつけられる重い問いでしょう。あなたが作品に納得する必要はありませんし、今は無理に見返したり説明を続けたりする必要もないと思います。
「作品に込めた優しさ」と
「受け取る人に届いた優しさ」は、
必ずしも同じではない。
僕は『シンデレラ』の表現を評価する立場だからこそ、その違いからも目を背けたくないなと思いました。
【夜職を描いたら教育に悪い? ミセス『シンデレラ』炎上と「寝た子を起こすな」という古い道徳の呪い🤔】
「子どもが知らない世界を見せるな!」
…ってそれ、昔の性教育で散々聞いた
「寝た子を起こすな」と発想がそっくりじゃありませんか?www🤣
Mrs. GREEN APPLE『シンデレラ』のMVをめぐる議論で、僕が音楽家として危惧しているのは、作品の内容ではなく、題材の存在そのものを教育的悪影響と決めつける発想です。
かつて日本の性教育には、「子どもに性の知識を与えると、余計なことに興味を持つ」という考え方がありました。
いわゆる「寝た子を起こすな」です。
実際、2000年代には性教育への激しい批判が起こり、教育現場を萎縮させた歴史もあります。
「知らなければ安全。
教えなければ興味を持たない。」
でも、知識を与えないことと、子どもが自分を守れるようになることは別でしょう。
性教育と音楽作品はもちろん違います。ただ、何かを知ることと、それを実行することを短絡的に結びつける発想には、共通した問題があるんです。
今回も「夜職を描けば子どもがその世界を知ってしまう」「憧れる可能性がある」と言われます。では、
存在を知ること、
憧れること、
実際に行動すること。
この三つをなぜ一緒にしてしまうのでしょう?子どもへの影響を懸念するなら、どの描写が、どの年齢層に、どのような影響を与えるのかを具体的に検討すべきです。
「危なそうだから見せるな」で議論を終えるなら、昔の「寝た子を起こすな」と何が違うのでしょう。
そして、もう一つ。
「キャバクラで働く女性を否定しているわけではない。物語の主人公に採用することが問題だ」という意見です。
では、その女性の人生は、どんな条件なら芸術で描いていいんでしょう?
不幸な結末なら許される?
職業の問題点を告発する作品なら許される?
国民的アーティストのMVでは登場させてはいけない?
「あなたの存在は否定しない。でも、私たちの綺麗な物語には出てこないでほしい。」
もしそんな考え方なら、それこそ職業に対する偏見を強めていませんか?
そもそも今回、大森元貴さんは企画・脚本・監督を担当し、夜職経験者にも取材しています。華やかなドレス、誰かから選ばれる仕事、疲弊した日常。
ここで僕が注目したいのは、
外見と内面の対比です。
古典的なシンデレラは、
王子様に選ばれることで人生が変わる。
一方、今回の主人公は、他人から選ばれることと、自分自身を認めることの間で葛藤する。
「他人に選ばれる価値」と
「自分自身が認める価値」。
この二つを対比させるための
職業設定だと僕は解釈しています。
しかも音楽は、壮麗なオーケストラと
生々しいバンドサウンドが交錯する構成。幻想と現実、華やかさと孤独。異なるものを重ねることで、感情に奥行きが生まれる。
綺麗な映像に綺麗な音を重ねるだけが、音楽表現じゃありません。
もちろん、制作側が常に正しいわけでもありません。女性の主体性が十分に描かれているか。職業への固定観念を強めていないか。未成年の視聴に配慮すべき部分はないか。そこは厳しく批評していい。でも、題材を選んだこと自体を倫理観の欠如と断定するなら、もう少し根拠が必要でしょう。
僕は子どもに何でも無条件に見せろと言っているわけじゃありません。
年齢に応じた配慮や、現実とフィクションの違いを教えることは大切です。
ただ、教育の本来の役割は、知らない世界をひたすら隠すことではなく、世界を理解し、自分で判断する力を育てることでもあるはずです。
「知らない子は安全、知った子は危険」。そんな古い性教育の発想を、令和のMVにまで持ち込む必要がありますか?😅
音楽は道徳の教科書でも、無菌室の展示品でもありません。
人間の欲望、孤独、弱さ、社会の矛盾を描くからこそ、誰かの人生に届くこともあります。
「子どものため」を語るなら、まず大人が、嫌いな作品でも決めつけず、何が描かれているのかを読み解く姿勢を見せたい。
「子どもに現実を見せないこと」と
「子どもが現実に向き合えるよう育てること」は、まったく違うんです。
そして、子どもの想像力を守りたいのなら、まず大人が自分の想像力に鍵をかけるのをやめたいですね。🎸✨
#MrsGREENAPPLE
#シンデレラMV
ありがとうございます。
その「重すぎるテーマだからこそ、数分のMVのようなポップなフォーマットで安易に扱うべきではない」という倫理的な懸念は、表現の本質を考える上で非常に本質的な指摘だと思います。
ただ、あえて異なる視点から捉えるならば、
「社会の影や複雑な構造を抱えた世界だからこそ、
あえて表現や音楽の器に乗せることでしか
届かない層があり、問いを共有できない」
という側面もあると考えています。
シンデレラという童話の本質は、
「過酷な境遇や理不尽な現実の中にあっても、
自分の足で未来を変えようとする渇望」にあります。
夜職という現場に付随する「反社・貧困・暴力」
といった現実の暗部(ソルトさんがご指摘された問題そのもの)を直視した上で、そこに生きる人間の一片のドラマや感情を音楽の魔法(歌詞と映像)で昇華させること。
それは問題の美化ではなく、むしろ
「そこにしか存在しないリアリティと人間賛歌」
を描き出すための表現の挑戦と思います。
重いから描かないのではなく、重いからこそ表現の力であえて可視化する。
といったそのアプローチ自体が読み違えであるか否かは、受け手がその映像から何を感じ取るかに委ねられているのではないでしょうか。
「キャバ嬢を描いたら夜職の推奨? それ物語の主人公と作者の主張を混同していませんか?」🤔
Mrs. GREEN APPLE『シンデレラ』のMVへの批判を見ていて音楽を作る側の僕としては批評者があまりに短絡的思考に思うのでもう少し丁寧に作品そのものを読み解いてほしいと思う。
まず大森さんは今回、企画・脚本・監督を担当し約8ページのプロットを作成。実際にキャバクラで働く方へのヒアリングも行ってます。もちろん取材したから作品が正しいとは限らない。でも何も考えずに題材を選んだと決めつけるのも違うでしょう。
ではなぜ主人公はキャバ嬢なのか。
ここが作品を理解する鍵だと思います。
シンデレラは誰かに見いだされ特別な存在になる物語として広く知られています。
一方今回の主人公は華やかな衣装をまとい誰かから選ばれることが仕事の一部になる世界で生きている。
「王子様に選ばれるお姫様」と
「お客様に選ばれる女性」。
この二つを重ねることで他人に選ばれることと自分自身の価値を認めることは同じなのかという問いが生まれる。
そして物語の着地点は誰かに選ばれて幸せになることではなく自分自身を肯定すること。
つまり僕の解釈ではこれはキャバクラの成功物語ではなく「他人から与えられる価値」と「自分で認める価値」の違いを描いた物語かと。
「普通の会社員でも描けたのでは?」という批判もあります。
もちろん描けます。でも同じ作品にはならない。キャバクラという設定にはドレス、化粧、指名、華やかな空間とその裏にある日常というシンデレラのモチーフと対比させやすい要素がある。
職業を変えればそこで生まれる象徴も変わります。「他でも描ける」は今の設定が間違っている証明ではない。
そして音楽にも注目してほしい。
大森さんはこの曲について
フルオーケストラとライブハウスの
バンドサウンドを掛け合わせる発想で
制作したと語っています。
壮麗なオーケストラと
生々しいバンドの音。
僕はこの異なる質感の共存に、
映像の華やかな幻想と現実の生活
を重ねて聴くことができます。
これは作者がそう明言したという話でなく音楽と映像を合わせて観た僕の解釈です。
でもこういう音楽的な構造まで考えてこそMVを一つの作品として批評できるんじゃないかな?
「子供が見たら夜職に憧れる」という懸念も心配すること自体は自由。
ただ心配と事実認定は違います。
作品に子供が登場すること、
華やかな職業描写があること、
それを見た子供が特定の職業を志すこと。この三つの間にはそれぞれ
説明すべき因果関係があります。
「影響がありそう」と
「だから有害な作品だ」の間を
想像だけで飛び越えてはいけない。
また「ディズニーとコラボしているのに」という批判も、論点を整理したい。
シンデレラという物語はディズニーだけのものではありません。過去のコラボレーションによって別の作品で描ける題材が自動的に制限されるわけでもない。
もちろんブランドイメージとの相性を論じることはできます。でもそれは作品が
倫理的に間違っているという証明とは別です。
さらに「コロンブスの反省がない」という声。過去の問題を検証することは必要でしょう。ただし今回も問題だと言うなら、今回のどの場面が、誰を、どのような仕組みで傷つけるのかを具体的に示すべきです。過去の炎上は今回の作品に対する有罪判決ではありません。
一方で僕は大森さんの意図を理解すれば批判がすべて消えるとも思いません。
夜職の描写が固定観念を強めていないか。華やかさと疲弊の対比が十分に伝わるか。当事者を物語の都合だけで扱っていないか。こうした問いは十分に成立する批評です。
だからこそ僕が言いたいのは単純な擁護じゃない。批評するなら作品の表現を具体的に批評しようということです。
「夜職が出たから夜職推奨」
「子供が出たから子供への悪影響」
「ディズニーと組んだからシンデレラを使うな」
これでは題材への印象を並べているだけで作品の分析には届いていません。
僕ら音楽家は孤独も欲望も矛盾も
人間の弱さも作品にします。
そこに描かれたものすべてが
作者の推奨する生き方とは限らない。
「作品に何が登場したか」と
「作品が何を語ろうとしているか」は
別の問いなんです。
そして今回の『シンデレラ』で僕が最も興味深いと思うのは、王子様を待つ物語を自分自身の手を取る物語へと読み替えたところです。
「誰かに選ばれなければ幸せになれない」という呪縛から
「自分の価値を他人だけに決めさせない」という結論へ。
そこまで読み解いた上でなお
表現が不十分だと言うなら
それは立派な批評でしょう。
でも結論を先に決めてそこに都合のいい場面だけを集めるのは批評じゃない。
「作品を裁く前にまず作品を読もう。嫌いになる自由はある。でも理解しない自由を批評の根拠にしてはいけないんです。」
#MrsGREENAPPLE
#シンデレラ
【「いいの」が、最後には別の言葉に聴こえる。
『シンデレラ』に隠された音楽の仕掛け10箇条🤔🤔🤔】
本題はリプ欄に書きますがとりあえず先にせっかくなのでこの曲をちょっと見てみましょう(^^♪
「高音が凄い!」だけで終わらせたら、この曲の本当の凄さを聴き逃します。
大森さん、僕が音楽を作る側として惹かれたのは、同じ言葉を繰り返しながら、その意味を変えていく音楽の設計です。メロディー、和声、歌唱、編曲、そして沈黙までが、一人の心の変化を描いている。歌詞を目印に、少し深く聴いてみましょう。😊
①【歌う前から、物語は始まっている🎬】
冒頭の「こんな処まで」。MVに映る幼い日の憧れを知ると、この独白は昔の夢と今の自分を見比べる言葉に聴こえる。イントロは単なる前奏じゃない。最初の一声に、どんな意味を持たせるかを準備する時間なんです。
②【高音は高さより、置き場所が重要🎤】
「こんな処まで」の内省的な語り口と、サビの「いつだって」。声の高さだけでなく、言葉の届け方が変わる。胸の内でつぶやいていた思いが、外へあふれ出すように感じられる。高音は見せ場である前に、感情を動かす作曲上の選択なんです。
③【メロディーも、和音を作っている🎹】
最初の「いつだって」。伴奏の和音に歌の音が重なることで、響きの色彩が変わる。旋律が和音の構成音以外を鳴らすと、華やかさの中に緊張が生まれることもある。歌は伴奏に乗るだけじゃない。和音の表情そのものを変えるんです。
④【ベースは、心の重力を動かす🎸】
「私がシンデレラ」が繰り返される場面。歌の旋律を聴いたら、次は低音を追ってみてほしい。ベースの動きによって、同じような旋律でも和声の進行感が変わる。低音は音を太くするだけじゃない。物語を次へ運ぶ、もう一人の語り手なんです。
⑤【同じ「いいの」が、同じ意味じゃない🥀】
序盤では、叶わない憧れを自分に言い聞かせる「いいの」。中盤では疑問が混じり、終盤では痛みを抱えた自分を認める方向へ変わっていく。歌詞を変えずに意味を変える。反復とは、同じ言葉で心の変化を描ける作曲技術でもあるんです。
⑥【歌唱力は、言葉の渡し方にも現れる🎙️】
「あの子で」へ向かう憧れの条件の列挙。ここは音程以上に、フレージングにも注目したい。言葉をどう区切り、どこに重心を置き、語尾をどう残すか。それによって、他人と自分を比べる主人公の視線が浮かび上がる。歌唱技術は高音やビブラートだけじゃないんです。
⑦【歌詞のない時間に、作曲家は語る🌙】
「わからない」から再び「憧れは」へ向かう間奏。言葉による説明を止め、音楽と映像に物語を預ける。聴き手は気持ちを理解する時間から、憧れの世界を体験する時間へ移る。間奏は休憩じゃない。言葉では描けない場面なんです。
⑧【盛り上げるために、あえて引く🎼】
間奏の終わりから「憧れは」へ戻る流れ。音の密度や強弱を抑えることで、次に現れる声が際立つ。音楽は足し算だけでは盛り上がらない。一度遠ざけるから、戻ってきた声が近く感じられる。 この引き算が終盤の感情を支えているんです。
⑨【迫力は、喉ひとつの手柄じゃない🔥】
冒頭と「私がシンデレラ」のサビ。声の表情だけでなく、伴奏の厚み、音域の配置、ミックスによる音像の広がりが存在感を変える。完成音源の迫力を、そのまま生の声量や特定の発声法に置き換えてはいけない。歌唱、編曲、音響が一緒に感情を作っているんです。
⑩【最後に救われるのは、夢ではなく自分👑】
終盤の「唯一のシンデレラ」。
僕が感じるのは、誰かより美しくなる勝利ではありません。嫉妬も弱さも痛みも抱えたまま、自分を主人公として認め直す変化。MVで異なる時代の自分が重なることも、その解釈を支えている。
この曲は、シンデレラになれるかどうかの物語じゃない。自分をシンデレラと呼べるようになるまでの物語なんだと思います。✨
大森さん、僕はそこに、この曲の作曲家としての凄さを感じました。
歌唱技術を語るなら、何オクターブ出るかだけじゃない。その音を、なぜその言葉に置いたのか。なぜそこで声を変え、なぜそこで音楽を引いたのか。
「いいの」と自分に言い聞かせていた人が、最後には自分を肯定する。その変化を、音楽そのものが語っている。🎶
こういうところまで聴けるようになると、
音楽って何倍も面白くなるんですよね。
↓続く
キャバ嬢じゃなく普通の人なら良かった?それじゃシンデレラの大事なコンセプト読み違えててもったいないかと💦
通りがかりで気になったので👀…
「普通の人の内面を美しく描けばよかった」って、キャバクラで働く女性は普通の人じゃないんですか?🤔
僕はこの批評、作品の好み以前に
前提から疑問があります。
まず、外見を飾る人と
内面が美しい人を、
なぜ対立させるのでしょう。
華やかなドレスを着ている人には、
美しい内面を描けないんですか?
むしろ今回、大森元貴さんが
描こうとしたのは、その外側と
内側の落差ではないでしょうか。
幼い頃に憧れたプリンセス。
大人になって身にまとう華やかな衣装。誰かから選ばれる仕事。
そして、仕事場を離れたときの
疲弊した表情や部屋に置かれた督促状。
ここで重要なのは、華やかな外見があるから内面を描けないのではなく、華やかに振る舞っている人にも、他人からは見えない葛藤があるということです。
もし最初から飾らない、誰からも
共感されやすい人物だけを描いたら、
この対比はどうなるでしょう。
もちろん別の素晴らしいMVは作れると
思います。でもそれは今回の作品とは
違う物語です。
そして「これが私だもん」という
自己肯定を、なぜ社会的に好ましい姿で
生きる人だけの言葉にしてしまうのでしょう。僕はむしろ逆だと思います。
自分の生き方に迷い、
人からどう見られるかを気にして、
それでも自分を受け入れようとする人だからこそ、自己肯定の言葉に重みが生まれる。
音楽も同じです。
『シンデレラ』では、壮麗な
オーケストラと生々しいバンドサウンドが
交錯する。僕には、この異なる音響の
質感が、華やかな幻想と厳しい現実を
行き来する映像にも重なって聴こえます。
ただ綺麗な旋律に
綺麗な映像を重ねることだけが、
音楽表現ではありません。
異なるものを対比させるからこそ、
伝わる感情があるんです。
そして「シンデレラが救われるのは
内面の美しさを暗示しているから」
という解釈にも補足したい。
古典的なシンデレラ像では、
主人公の善良さだけでなく、
魔法や王子による選択が
物語を動かします。
今回のMVを僕が面白いと思うのは、
まさにその「誰かに選ばれる幸福」を、
「自分が自分を認めること」へ
読み替えているところです。
他人の評価に左右される世界を
舞台にしたからこそ、
この対比に意味が生まれる。
もちろん、キャバクラという設定が
最善だったか、演出が十分に伝わったかは批評できます。
でも「普通の人ならよかった」
というだけでは、現行の設定が
なぜ作品を損なうのか
説明できていません。
「私なら別の主人公にする」
は創作案として成立します。
でも「だからこの作品は間違っている」という結論にはならないんです。
何より僕が気になるのは、
「普通の人の内面を美しく」
と言いながら、今そこに描かれている
女性の内面を、職業や衣装から
判断してしまっていることです。
「普通の人を描け」と言いながら、
誰を普通の人として認めるかを
先に選別してしまう。
それでは、自己肯定という
作品の主題から、
むしろ遠ざかってしまいませんか?
「これが私だもん」は、
誰からも好まれる姿になれた人だけの
言葉じゃない。
そうなれない自分も含めて、
受け入れようとする人の言葉だから
響くんです。
僕はそこに、大森さんの
表現の面白さを感じます。🎸
#MrsGREEENAPPLE
通りがかりで気になったので👀…
「普通の人の内面を美しく描けばよかった」って、キャバクラで働く女性は普通の人じゃないんですか?🤔
僕はこの批評、作品の好み以前に
前提から疑問があります。
まず、外見を飾る人と
内面が美しい人を、
なぜ対立させるのでしょう。
華やかなドレスを着ている人には、
美しい内面を描けないんですか?
むしろ今回、大森元貴さんが
描こうとしたのは、その外側と
内側の落差ではないでしょうか。
幼い頃に憧れたプリンセス。
大人になって身にまとう華やかな衣装。誰かから選ばれる仕事。
そして、仕事場を離れたときの
疲弊した表情や部屋に置かれた督促状。
ここで重要なのは、華やかな外見があるから内面を描けないのではなく、華やかに振る舞っている人にも、他人からは見えない葛藤があるということです。
もし最初から飾らない、誰からも
共感されやすい人物だけを描いたら、
この対比はどうなるでしょう。
もちろん別の素晴らしいMVは作れると
思います。でもそれは今回の作品とは
違う物語です。
そして「これが私だもん」という
自己肯定を、なぜ社会的に好ましい姿で
生きる人だけの言葉にしてしまうのでしょう。僕はむしろ逆だと思います。
自分の生き方に迷い、
人からどう見られるかを気にして、
それでも自分を受け入れようとする人だからこそ、自己肯定の言葉に重みが生まれる。
音楽も同じです。
『シンデレラ』では、壮麗な
オーケストラと生々しいバンドサウンドが
交錯する。僕には、この異なる音響の
質感が、華やかな幻想と厳しい現実を
行き来する映像にも重なって聴こえます。
ただ綺麗な旋律に
綺麗な映像を重ねることだけが、
音楽表現ではありません。
異なるものを対比させるからこそ、
伝わる感情があるんです。
そして「シンデレラが救われるのは
内面の美しさを暗示しているから」
という解釈にも補足したい。
古典的なシンデレラ像では、
主人公の善良さだけでなく、
魔法や王子による選択が
物語を動かします。
今回のMVを僕が面白いと思うのは、
まさにその「誰かに選ばれる幸福」を、
「自分が自分を認めること」へ
読み替えているところです。
他人の評価に左右される世界を
舞台にしたからこそ、
この対比に意味が生まれる。
もちろん、キャバクラという設定が
最善だったか、演出が十分に伝わったかは批評できます。
でも「普通の人ならよかった」
というだけでは、現行の設定が
なぜ作品を損なうのか
説明できていません。
「私なら別の主人公にする」
は創作案として成立します。
でも「だからこの作品は間違っている」という結論にはならないんです。
何より僕が気になるのは、
「普通の人の内面を美しく」
と言いながら、今そこに描かれている
女性の内面を、職業や衣装から
判断してしまっていることです。
「普通の人を描け」と言いながら、
誰を普通の人として認めるかを
先に選別してしまう。
それでは、自己肯定という
作品の主題から、
むしろ遠ざかってしまいませんか?
「これが私だもん」は、
誰からも好まれる姿になれた人だけの
言葉じゃない。
そうなれない自分も含めて、
受け入れようとする人の言葉だから
響くんです。
僕はそこに、大森さんの
表現の面白さを感じます。🎸
#MrsGREEENAPPLE
【そのハグを「パパ活」と読んだのは、
映像ですか? あなた自身ですか?
ミセス『シンデレラ』が仕掛けた
映像解釈の罠⁉️ 10箇条🤔🤔🤔】
「映像に映っていないことまで、
なぜそんなに自信満々に語れるんでしょう?🤔」
Mrs. GREEN APPLE『シンデレラ』の
MVでは、男性に抱きしめられ、
頭に触れられる主人公が、
幼い頃に父親から頭を撫でられた記憶を
思い起こす場面があります。
この描写から「パパ活」を
連想する声もあるようです。
でも僕が興味深いと思ったのは、
同じ映像を見ても、受け取る物語が
人によって変わることなんです。
①【映像は、全部を説明していない🎬】
男性との抱擁が映る。でも、その男性との関係が何なのか、場面だけで確定できるとは限らない。映っていることと、見た人が推測したことは区別したいですね。
②【編集は、二つの場面に意味を生む🧩】
現在の抱擁から、幼少期に父親から頭を撫でられた記憶へ。こうして映像を並べると、観客は両者の関係を考え始める。映画ではモンタージュによる意味形成として知られる考え方です。二つの映像をつなげるだけで、第三の意味が生まれる。
③【同じ仕草でも、意味は一つじゃない🤲】
頭を撫でる行為は、安心、保護、親密さ、支配など、関係性や状況によって異なる意味を持ち得る。だからこそ、同じ動作を異なる時代に配置することに表現上の意味があるんです。
④【歌詞が、映像の読み方を変える🎤】
愛され方への疑問を感じさせる言葉と、抱擁の映像が重なれば、観客はその身体的な接触を単なる行動以上のものとして受け取る。MVは映像だけでなく、言葉と音楽が同時に意味を作る作品なんです。
⑤【「パパ活」に見えたこと自体は否定しない🔍】
そう連想するのも一つの解釈です。ただし、連想しただけで主人公の具体的な行動を事実として断定するのは別。「私はこう読んだ」と「この作品にはこれが描かれている」は、同じじゃありません。
⑥【記憶は、現在の感情に入り込む🕰️】
人は今の体験から、過去の似た感覚を思い出すことがあります。今回の場面も、過去の温もりと現在の触れ合いを対比している、と読むことができる。そこに主人公の感情の複雑さを感じます。
⑦【鑑賞者の経験も、作品の意味を変える🪞】
接客業を経験した人、家族との記憶がある人、人間関係で傷ついた人。それぞれ異なるものを見るでしょう。作品に複数の解釈が生まれること自体は、欠陥ではありません。
⑧【ただし、何でも自由に解釈していいわけじゃない⚖️】
「こういう意味にも見える」は批評です。でも「絶対にこういう意味だ」と言うなら、映像や歌詞から根拠を示す必要がある。考察の自由と、事実を断定する責任は別なんです。
⑨【曖昧さは、作り手にも責任がある🎥】
誤解を招くように感じる演出があるなら、そこを批判してもいい。曖昧に描くことで得られる表現の深さと、伝わりにくさは表裏一体。「理解できない観客が悪い」で終わらせるのも、僕は違うと思います。
⑩【このMVは、何を見せて
何を隠したのか?✨】
僕が大森さんの演出で注目したいのは、主人公の人生をすべて説明していないことです。
断片的な記憶、誰かとの接触、幼い頃の憧れ、思うようにいかない現実。
それぞれをつなぎ合わせると、
観客の中に一つの人生が立ち上がる。
でも、その人生の細部まで
観客が勝手に確定してしまえば、
作品が残した余白は消えてしまう。
「映画や音楽を深く読むことは、何でも裏設定を決めつけることじゃない。」
批評するなら、何が映っていたか、
そこから何を推測したか、
その推測にどんな根拠があるかを
分けて考えたい。
そして何より、他人の人生を描いた作品だからこそ、登場人物の人生を安易に決めつけないことも大切でしょう。
「作品が映しているのは主人公の人生。
でも、そこに何を読み取るかには、
観客自身の経験や価値観も映り込むんです。」🎸✨
#MrsGREENAPPLE
【キャバ嬢ばかり見ているけど、
あの部屋の督促状を見ましたか?
ミセス『シンデレラ』が描いた
もう一つの現実10箇条🤔🤔🤔】
「主人公がキャバ嬢だから下品!」
…って😅ところで、彼女の部屋に置かれた「督促状」には気づきましたか?🤔
Mrs. GREEN APPLE『シンデレラ』のMV。夜の仕事ばかりが議論されていますが、僕が気になったのは、華やかな衣装とは対照的な主人公の日常です。
今回は音楽制作者として、映像の小道具から物語を読み解いてみたい。
①【ドレスより先に、督促状を見よう✉️】
主人公の部屋には大量の督促状が置かれている。華やかな仕事着と、生活の中に入り込む支払いの問題。この対比を見落として、単なる夜職の美化と決めていいんでしょうか。
②【お金は、物語の選択肢を変える💰】
経済的不安がある人と、十分な蓄えがある人では、仕事を選ぶ条件も変わる。ただし、彼女がなぜ夜の仕事を始めたかは断定できません。小道具は状況を示唆しても、すべての事情を説明するわけじゃないんです。
③【プリンセスにも生活費が必要です👠】
幼い頃は、綺麗なドレスに憧れる。でも大人になると、家賃も請求書もある。童話が描かない生活の現実を、現代のシンデレラに持ち込む。その落差にこそ意味があるのではないでしょうか。
④【選ばれる仕事と、選ばれたい心🪞】
キャバクラには指名という仕組みがある。これは顧客との商業的な関係です。でも人間は、仕事の評価と自分自身の価値を混同してしまうことがある。「必要とされること」と「愛されること」は同じじゃありません。
⑤【笑顔は、幸福の証明じゃない😊】
仕事中に笑顔でいることと、心が満たされていることは別です。接客業に限らず、ステージに立つ僕らにも分かる話でしょう。笑顔が仕事の一部になる社会で、その裏の感情をどう描くかは重要なんです。
⑥【音楽まで、ただキラキラしている?🎼】
楽曲では壮大なオーケストラとバンドサウンドが交錯します。華麗な響きがあるからこそ、生活の疲弊した映像との落差も生まれる。明るく聴こえる音楽が、明るい人生だけを語るとは限らないんです。
⑦【夜職の女性を、記号にするな⚖️】
「夜職だから不幸」と決めるのも、
「夜職なら華やかで幸せ」と決めるのも乱暴です。実際の働き方も人生も人それぞれ。MVの主人公は一人の架空の人物であって、職業全体の代表ではありません。
⑧【社会問題と個人の物語を混同しない🌍】
督促状があるからといって、借金の原因や家庭環境まで分かるわけじゃない。でも、経済的な圧迫が人生の選択に影響するという社会的な問いは生まれる。描かれていない事情を捏造せず、描かれた現実から考える。それが考察です。
⑨【制作側の意図も、免罪符じゃない🎬】
実際の夜職経験者に取材したという制作姿勢は重要です。ただし、その描写が当事者にどう受け取られるかは別の問題。リアリティは、取材した事実ではなく、完成作品の中で検証されるべきでしょう。
⑩【本当の魔法は、誰かに選ばれること?✨】
僕にはこのMVが、王子様に選ばれる幸福を、そのまま現代に置き換えた物語には見えません。
誰かに評価され、必要とされる。
お金を稼ぐ。笑顔で働く。
それでも自分を好きになれるとは限らない。だから最後に、自分自身を受け入れるという結末が意味を持つ。
「華やかな服を着ているから幸せとは限らない。地味な部屋で暮らしているから不幸とも限らない。」
職業だけで人間を判断してしまえば、
その人の事情も感情も見えなくなる。
「シンデレラに必要だったのは、
新しいドレスだったのか。
それともドレスを脱いだ自分にも
価値があると気づくことだったのか。」
僕はそこにこの作品の
核心を感じるんです。🎸✨
#MrsGREENAPPLE
【キャバ嬢ばかり見ているけど、
あの部屋の督促状を見ましたか?
ミセス『シンデレラ』が描いた
もう一つの現実10箇条🤔🤔🤔】
「主人公がキャバ嬢だから下品!」
…って😅ところで、彼女の部屋に置かれた「督促状」には気づきましたか?🤔
Mrs. GREEN APPLE『シンデレラ』のMV。夜の仕事ばかりが議論されていますが、僕が気になったのは、華やかな衣装とは対照的な主人公の日常です。
今回は音楽制作者として、映像の小道具から物語を読み解いてみたい。
①【ドレスより先に、督促状を見よう✉️】
主人公の部屋には大量の督促状が置かれている。華やかな仕事着と、生活の中に入り込む支払いの問題。この対比を見落として、単なる夜職の美化と決めていいんでしょうか。
②【お金は、物語の選択肢を変える💰】
経済的不安がある人と、十分な蓄えがある人では、仕事を選ぶ条件も変わる。ただし、彼女がなぜ夜の仕事を始めたかは断定できません。小道具は状況を示唆しても、すべての事情を説明するわけじゃないんです。
③【プリンセスにも生活費が必要です👠】
幼い頃は、綺麗なドレスに憧れる。でも大人になると、家賃も請求書もある。童話が描かない生活の現実を、現代のシンデレラに持ち込む。その落差にこそ意味があるのではないでしょうか。
④【選ばれる仕事と、選ばれたい心🪞】
キャバクラには指名という仕組みがある。これは顧客との商業的な関係です。でも人間は、仕事の評価と自分自身の価値を混同してしまうことがある。「必要とされること」と「愛されること」は同じじゃありません。
⑤【笑顔は、幸福の証明じゃない😊】
仕事中に笑顔でいることと、心が満たされていることは別です。接客業に限らず、ステージに立つ僕らにも分かる話でしょう。笑顔が仕事の一部になる社会で、その裏の感情をどう描くかは重要なんです。
⑥【音楽まで、ただキラキラしている?🎼】
楽曲では壮大なオーケストラとバンドサウンドが交錯します。華麗な響きがあるからこそ、生活の疲弊した映像との落差も生まれる。明るく聴こえる音楽が、明るい人生だけを語るとは限らないんです。
⑦【夜職の女性を、記号にするな⚖️】
「夜職だから不幸」と決めるのも、
「夜職なら華やかで幸せ」と決めるのも乱暴です。実際の働き方も人生も人それぞれ。MVの主人公は一人の架空の人物であって、職業全体の代表ではありません。
⑧【社会問題と個人の物語を混同しない🌍】
督促状があるからといって、借金の原因や家庭環境まで分かるわけじゃない。でも、経済的な圧迫が人生の選択に影響するという社会的な問いは生まれる。描かれていない事情を捏造せず、描かれた現実から考える。それが考察です。
⑨【制作側の意図も、免罪符じゃない🎬】
実際の夜職経験者に取材したという制作姿勢は重要です。ただし、その描写が当事者にどう受け取られるかは別の問題。リアリティは、取材した事実ではなく、完成作品の中で検証されるべきでしょう。
⑩【本当の魔法は、誰かに選ばれること?✨】
僕にはこのMVが、王子様に選ばれる幸福を、そのまま現代に置き換えた物語には見えません。
誰かに評価され、必要とされる。
お金を稼ぐ。笑顔で働く。
それでも自分を好きになれるとは限らない。だから最後に、自分自身を受け入れるという結末が意味を持つ。
「華やかな服を着ているから幸せとは限らない。地味な部屋で暮らしているから不幸とも限らない。」
職業だけで人間を判断してしまえば、
その人の事情も感情も見えなくなる。
「シンデレラに必要だったのは、
新しいドレスだったのか。
それともドレスを脱いだ自分にも
価値があると気づくことだったのか。」
僕はそこにこの作品の
核心を感じるんです。🎸✨
#MrsGREENAPPLE
【 AIで作ったら創作じゃない?
ミセス『シンデレラ』が突きつけた、
AI時代のオリジナリティ10箇条🤔🤔🤔】
「AIを使ったから手抜き!」って
ではそのAIに何を作らせるか決めたのは誰なんでしょう?🤔
Mrs. GREEN APPLE『シンデレラ』の
メイキングが公開されました。
アニメーションは、オリジナルのキャラクターと背景を手描きし、動きをモーションキャプチャーで収録。AIを使って映像化した後、人の手で再調整しています。
僕も音楽を作る人間として、ここには
重要な論点があると思うんです。
①【AI使用とAI丸投げは違う🤖】
完成映像にAIを使っていても、構想、デザイン、動き、演出、編集に人間が関わっている場合がある。AIを使ったという一言では、制作の実態は分かりません。
②【プロンプトの前にも仕事がある🎨】
今回、出発点となったのはオリジナルの絵と動き。つまり制作工程には、生成AIに入力する以前の創作判断がある。完成ボタンだけ見て制作全体を評価するのは、映画を見てカメラの性能だけ褒めるようなものです。🤣
③【AIが全部考えたわけじゃない🎬】
大森さんは企画・脚本・監督を担当。約8ページのプロットを作っています。物語の展開、演技、画面構成を誰が判断したのか。創作の主体を考えるなら、そこを見たい。
④【不自然さも、演出になる🌀】
制作側はアニメーションを主人公の理想像、つまり「虚像」と説明しています。あえて現実と異なる質感を持たせるなら、違和感も表現の素材になる。綺麗に作ることと、伝わるように作ることは別なんです。
⑤【ただし、手間をかければ正しいわけじゃない⚖️】
人が何時間描いても、他人の保護された表現を侵害する可能性はある。反対にAI使用だけで盗作とは決まらない。制作方法と著作権の問題は別々に検証すべきです。
⑥【「似ている」は分析の始まり🔍】
ディズニー版を連想するという指摘は検討できる。でも、古典の共通要素なのか、独自の創作的表現の類似なのか。そこを比較しなければ、法的な結論には進めません。
⑦【音楽のサンプリングにも似た問いがある🎧】
既存の素材や技術を使っても、編集や構成によって新しい作品は生まれる。ただし素材の権利処理は別問題。創造性と適法性は、どちらか一つあればいい話じゃありません。
⑧【AIへの批判まで禁止するな🖥️】
使用モデル、学習データ、権利者への配慮、制作スタッフへの影響。確認すべき問題は残ります。メイキングで人の作業が見えたから、すべて解決したわけでもないんです。
⑨【作り手の責任は消えない📝】
AIが生成したから仕方ない、では済まない。出力を選び、修正し、発表する判断には制作者の責任が伴う。AIを使うほど、何を採用し何を捨てるかが重要になります。
⑩【創作の価値を、道具の名前だけで決めない🔥】
僕はAIを、創作の主導権を奪う存在ではなく、人間の発想を広げる道具として考えています。
ただ出てきたものを採用するのか。
自分の表現へ作り込むのか。
そこには大きな違いがある。
「AIを使ったから創作じゃない」も、「手を加えたから問題ない」も、
どちらも考えるのをやめた結論です。
問うべきなのは、
「誰が何を作り、
何に責任を持つのか」。
道具が進化しても、
創作者に必要なものは変わりません。
「作品の主導権は、
最後まで作り手が握っているか。」 🎸✨
#MrsGREENAPPLE
【 AIで作ったら創作じゃない?
ミセス『シンデレラ』が突きつけた、
AI時代のオリジナリティ10箇条🤔🤔🤔】
「AIを使ったから手抜き!」って
ではそのAIに何を作らせるか決めたのは誰なんでしょう?🤔
Mrs. GREEN APPLE『シンデレラ』の
メイキングが公開されました。
アニメーションは、オリジナルのキャラクターと背景を手描きし、動きをモーションキャプチャーで収録。AIを使って映像化した後、人の手で再調整しています。
僕も音楽を作る人間として、ここには
重要な論点があると思うんです。
①【AI使用とAI丸投げは違う🤖】
完成映像にAIを使っていても、構想、デザイン、動き、演出、編集に人間が関わっている場合がある。AIを使ったという一言では、制作の実態は分かりません。
②【プロンプトの前にも仕事がある🎨】
今回、出発点となったのはオリジナルの絵と動き。つまり制作工程には、生成AIに入力する以前の創作判断がある。完成ボタンだけ見て制作全体を評価するのは、映画を見てカメラの性能だけ褒めるようなものです。🤣
③【AIが全部考えたわけじゃない🎬】
大森さんは企画・脚本・監督を担当。約8ページのプロットを作っています。物語の展開、演技、画面構成を誰が判断したのか。創作の主体を考えるなら、そこを見たい。
④【不自然さも、演出になる🌀】
制作側はアニメーションを主人公の理想像、つまり「虚像」と説明しています。あえて現実と異なる質感を持たせるなら、違和感も表現の素材になる。綺麗に作ることと、伝わるように作ることは別なんです。
⑤【ただし、手間をかければ正しいわけじゃない⚖️】
人が何時間描いても、他人の保護された表現を侵害する可能性はある。反対にAI使用だけで盗作とは決まらない。制作方法と著作権の問題は別々に検証すべきです。
⑥【「似ている」は分析の始まり🔍】
ディズニー版を連想するという指摘は検討できる。でも、古典の共通要素なのか、独自の創作的表現の類似なのか。そこを比較しなければ、法的な結論には進めません。
⑦【音楽のサンプリングにも似た問いがある🎧】
既存の素材や技術を使っても、編集や構成によって新しい作品は生まれる。ただし素材の権利処理は別問題。創造性と適法性は、どちらか一つあればいい話じゃありません。
⑧【AIへの批判まで禁止するな🖥️】
使用モデル、学習データ、権利者への配慮、制作スタッフへの影響。確認すべき問題は残ります。メイキングで人の作業が見えたから、すべて解決したわけでもないんです。
⑨【作り手の責任は消えない📝】
AIが生成したから仕方ない、では済まない。出力を選び、修正し、発表する判断には制作者の責任が伴う。AIを使うほど、何を採用し何を捨てるかが重要になります。
⑩【創作の価値を、道具の名前だけで決めない🔥】
僕はAIを、創作の主導権を奪う存在ではなく、人間の発想を広げる道具として考えています。
ただ出てきたものを採用するのか。
自分の表現へ作り込むのか。
そこには大きな違いがある。
「AIを使ったから創作じゃない」も、「手を加えたから問題ない」も、
どちらも考えるのをやめた結論です。
問うべきなのは、
「誰が何を作り、
何に責任を持つのか」。
道具が進化しても、
創作者に必要なものは変わりません。
「作品の主導権は、
最後まで作り手が握っているか。」 🎸✨
#MrsGREENAPPLE
「キャバ嬢を描いたら夜職の推奨? それ物語の主人公と作者の主張を混同していませんか?」🤔
Mrs. GREEN APPLE『シンデレラ』のMVへの批判を見ていて音楽を作る側の僕としては批評者があまりに短絡的思考に思うのでもう少し丁寧に作品そのものを読み解いてほしいと思う。
まず大森さんは今回、企画・脚本・監督を担当し約8ページのプロットを作成。実際にキャバクラで働く方へのヒアリングも行ってます。もちろん取材したから作品が正しいとは限らない。でも何も考えずに題材を選んだと決めつけるのも違うでしょう。
ではなぜ主人公はキャバ嬢なのか。
ここが作品を理解する鍵だと思います。
シンデレラは誰かに見いだされ特別な存在になる物語として広く知られています。
一方今回の主人公は華やかな衣装をまとい誰かから選ばれることが仕事の一部になる世界で生きている。
「王子様に選ばれるお姫様」と
「お客様に選ばれる女性」。
この二つを重ねることで他人に選ばれることと自分自身の価値を認めることは同じなのかという問いが生まれる。
そして物語の着地点は誰かに選ばれて幸せになることではなく自分自身を肯定すること。
つまり僕の解釈ではこれはキャバクラの成功物語ではなく「他人から与えられる価値」と「自分で認める価値」の違いを描いた物語かと。
「普通の会社員でも描けたのでは?」という批判もあります。
もちろん描けます。でも同じ作品にはならない。キャバクラという設定にはドレス、化粧、指名、華やかな空間とその裏にある日常というシンデレラのモチーフと対比させやすい要素がある。
職業を変えればそこで生まれる象徴も変わります。「他でも描ける」は今の設定が間違っている証明ではない。
そして音楽にも注目してほしい。
大森さんはこの曲について
フルオーケストラとライブハウスの
バンドサウンドを掛け合わせる発想で
制作したと語っています。
壮麗なオーケストラと
生々しいバンドの音。
僕はこの異なる質感の共存に、
映像の華やかな幻想と現実の生活
を重ねて聴くことができます。
これは作者がそう明言したという話でなく音楽と映像を合わせて観た僕の解釈です。
でもこういう音楽的な構造まで考えてこそMVを一つの作品として批評できるんじゃないかな?
「子供が見たら夜職に憧れる」という懸念も心配すること自体は自由。
ただ心配と事実認定は違います。
作品に子供が登場すること、
華やかな職業描写があること、
それを見た子供が特定の職業を志すこと。この三つの間にはそれぞれ
説明すべき因果関係があります。
「影響がありそう」と
「だから有害な作品だ」の間を
想像だけで飛び越えてはいけない。
また「ディズニーとコラボしているのに」という批判も、論点を整理したい。
シンデレラという物語はディズニーだけのものではありません。過去のコラボレーションによって別の作品で描ける題材が自動的に制限されるわけでもない。
もちろんブランドイメージとの相性を論じることはできます。でもそれは作品が
倫理的に間違っているという証明とは別です。
さらに「コロンブスの反省がない」という声。過去の問題を検証することは必要でしょう。ただし今回も問題だと言うなら、今回のどの場面が、誰を、どのような仕組みで傷つけるのかを具体的に示すべきです。過去の炎上は今回の作品に対する有罪判決ではありません。
一方で僕は大森さんの意図を理解すれば批判がすべて消えるとも思いません。
夜職の描写が固定観念を強めていないか。華やかさと疲弊の対比が十分に伝わるか。当事者を物語の都合だけで扱っていないか。こうした問いは十分に成立する批評です。
だからこそ僕が言いたいのは単純な擁護じゃない。批評するなら作品の表現を具体的に批評しようということです。
「夜職が出たから夜職推奨」
「子供が出たから子供への悪影響」
「ディズニーと組んだからシンデレラを使うな」
これでは題材への印象を並べているだけで作品の分析には届いていません。
僕ら音楽家は孤独も欲望も矛盾も
人間の弱さも作品にします。
そこに描かれたものすべてが
作者の推奨する生き方とは限らない。
「作品に何が登場したか」と
「作品が何を語ろうとしているか」は
別の問いなんです。
そして今回の『シンデレラ』で僕が最も興味深いと思うのは、王子様を待つ物語を自分自身の手を取る物語へと読み替えたところです。
「誰かに選ばれなければ幸せになれない」という呪縛から
「自分の価値を他人だけに決めさせない」という結論へ。
そこまで読み解いた上でなお
表現が不十分だと言うなら
それは立派な批評でしょう。
でも結論を先に決めてそこに都合のいい場面だけを集めるのは批評じゃない。
「作品を裁く前にまず作品を読もう。嫌いになる自由はある。でも理解しない自由を批評の根拠にしてはいけないんです。」
#MrsGREENAPPLE
#シンデレラ
【国民的アーティストになったら、
大人の現実を歌ってはいけないのか?
ミセス『シンデレラ』炎上が暴いた
「清潔な音楽」の呪い10箇条🤔🤔🤔】
「売れるまでは個性を出せ!
売れたら子供も見るから無難にしろ!」
ってアーティストは、いつから国民全員の保護者になったんでしょう?🤣🎸
Mrs. GREEN APPLE『シンデレラ』の
MVをめぐる議論。今回は作品への
賛否から一歩離れ、音楽を作り、
届ける側として考えたい。
国民的アーティストになった瞬間、
表現できる世界は狭くなるのか?
①【人気が出たら、全作品が児童向け?👶】
子供にも人気だから夜の仕事を描くな、という意見。でも、子供が聴くことと、全作品が子供向けであることは別です。対象年齢への配慮は必要でも、幅広い人気は、全作品を全年齢向けにする契約ではありません。
②【「清潔な音楽」って何でしょう?🧼】
失恋、嫉妬、孤独、欲望、貧困。人間の現実を描くと、不快に感じる人もいる。でも不快な題材を全部排除したら、音楽に残るのは何でしょう。人生が綺麗事だけじゃないから、音楽にも意味があるんです。
③【描いたら推奨? その理屈は危険です🎬】
キャバクラで働く女性を描くことと、その仕事を勧めることは違う。もちろん美化と受け取られる演出は批評できる。でも、主人公の職業が、そのまま制作者の推奨する生き方になるわけじゃない。
④【大森元貴は、なぜシンデレラを選んだのか?👠】
僕が注目したいのは「誰かに選ばれる幸福」と「自分で自分を認める幸福」の対比。王子様を待つ物語を、現代の承認欲求と自己肯定の物語に読み替える。これは古典を飾りに使うだけではなく、その価値観を問い直す表現だと僕は解釈しています。
⑤【音楽は、華やかさだけを語っていない🎼】
壮麗なオーケストラと生々しいバンドサウンド。異なる質感が交錯する構成に、僕は映像の幻想と現実の対比を感じます。これは作者の意図を断定する話じゃない。映像だけでなく音楽と合わせて考えることで、作品の読み方は深まるんです。
⑥【スポンサーがいると、芸術家は黙るべき?💰】
企業との協業には契約、ブランド管理、リスクへの配慮があります。これは現実です。でも、ある企画でファミリー層に届けたから、以後すべての自主作品も同じ対象に合わせる義務があるとは限らない。商業上の配慮と創作上の制約は、区別して考える必要があります。
⑦【炎上回避を最優先すると、曲が痩せる📉】
制作会議で「誰かが不快かも」「誤解されるかも」を無制限に重ねたらどうなるか。挑戦的な題材ほど避けられる。もちろん安全管理は必要。でも、リスクをゼロにすることが、作品の価値を最大化することとは限りません。
⑧【ファンも、全肯定しなくていい🍏】
「大森さんの意図だから正しい!」も違う。好きな作品でも演出の問題は指摘していい。反対に、嫌いだから何もかも間違いと断定するのも違う。応援と批評は両立できます。むしろ、それが健全な音楽文化でしょう。
⑨【過去の炎上は、永久の有罪判決?⚖️】
『コロンブス』で問題があったことは検証すべきです。でも、今回も問題だと言うなら、今回のどの表現にどんな問題があるのかを示す必要がある。過去の失敗を忘れないことと、すべての新作を先入観で裁くことは別です。
⑩【国民的とは、国民全員に従うことじゃない🌏】
ある人には希望の歌。
別の人には違和感のある作品。
それでもいいんです。
芸術は多数決で作るものじゃないし、
批評もファンの人数で
決まるものじゃない。
僕が危惧するのは、
炎上を恐れるあまり、
アーティストも制作会社も、
人間の弱さや矛盾を
描かなくなることです。
「誰からも嫌われない音楽」と
「誰かの人生を支える音楽」は、
同じじゃありません。
もちろん表現の自由は
無制限の免責ではない。
権利侵害や差別的な表現があれば、
具体的に検証する責任があります。
でも、単に気に入らない題材を
「国民的なんだからやめろ」
で封じるのも違うでしょう。
「国民的アーティストとは、
国民全員の好みに従う
アーティストのことじゃない。」
「大勢に愛されるようになったからこそ、誰か一人の孤独まで描ける自由を、僕は音楽に残しておきたいんです。」🎸✨
#MrsGREENAPPLE
通りがかりで気になったので👀…
この指摘は、これまでの「夜職を描いたから下品」というパッと見な短絡的思考の批判とは違って、きちんと検証すべき論点だと思いますね🤔。
シンデレラという古典の物語はパブリックドメインですが、ディズニーが独自に創作した具体的な映像やキャラクターデザインまで自由に使えるわけではありません。
ただし、ここで重要なのは
「ディズニーに似て見える」と
「ディズニーの著作権を侵害している」を混同しないことです。
舞踏会、ガラスの靴、王子様、午前0時。これらは古典的なシンデレラの物語にもある要素です。
一方、ディズニー版特有の顔立ちや衣装の細部、映像表現まで具体的に流用しているなら、著作権上の検討が必要でしょう。その判断には、実際の映像を並べ、どの創作的表現が共通しているかを説明する必要があります。
そして、独創性の評価も同じです。
今回、大森さんが描いたのは、王子様に選ばれることを幸福の結末とするだけの物語ではなく、他人に選ばれることと
自分自身を認めることの違いを問う作品だと僕は解釈しています。
そこには物語上の再創造がある。
一方、個別の映像デザインについては
別に検証できます。
僕はミセスだから擁護するつもりも、批判されているから問題があると決めつけるつもりもありません。
「似ている」
「独創性に乏しい」
「著作権を侵害している」。
この三つは全部違う評価です。
音楽でも映像でも、他人の作品への敬意は大切です。だからこそ疑問があるなら具体的な表現を比較し、根拠を示して批評したいところですね。
作品を守るために著作権があるのであって、嫌いな作品を裁くための便利な言葉ではないんですから😅。
通りがかりで気になったので…(^_^;)
「原作への敬意がない!」と怒りながら、他人の作品とファンには敬意の欠片もない。その矛盾に気づいていますか?🤔これは音楽を作る側として、さすがに一言申し上げたいですね。ミセスが嫌いでも、『シンデレラ』のMVが不快でも構いません。批評する自由は当然あります。
でも「どんな文脈があれど失礼」と断じるなら、
まず、その文脈を理解したうえで何が失礼なのか説明してほしいんです。
そもそも『シンデレラ』はディズニーが創作した物語ではありません。1697年のペロー版をはじめ、古くから存在する物語です。ディズニー版を連想することと、その独自の著作物を無断で利用したことは別問題。
「みんなディズニーを思い浮かべる」は、著作権侵害の証明にも、権利者が不快に感じている証拠にもならないんです。もしディズニー独自の表現を流用したと主張するなら、具体的にどの場面なのか示すべきでしょう。
そして、もっと重要なのが作品の構造です。
シンデレラは、誰かに見いだされ、選ばれることで人生が変わる物語として知られています。
今回、大森元貴さんが描いたのは、華やかな装いの裏で葛藤しながら、誰かに選ばれたいと願う女性。
キャバクラには「指名」という仕組みがあります。
そこに、他人に選ばれることと、自分自身の価値を認めることは同じなのか、という対比が成立する。
しかも物語の着地点は、王子様に幸せにしてもらうことではなく、自分自身を肯定して前へ進むことです。
つまり僕には、古典の価値観を「現代の承認欲求」に置き換えその結末を問い直した作品に見えるんです。
まあこれは僕の作品解釈ですが。
さらに映像は23時53分に公開され、午前0時に物語が終わる構成。魔法が解ける瞬間まで演出に取り込んでいる。音楽も、壮麗なオーケストラと生々しいバンドサウンドが交錯する。僕には、その対照的な音響が主人公の幻想と現実にも重なって聴こえる。
こうした音楽、映像、物語の関係まで考えて初めて、作品批評になるんじゃないでしょうか。
「夜職を描くのは下品」って短絡的思考してますが、
描写することと推奨することを、どう区別しているのでしょう。そもそも職業そのものを下品と決めつけていませんか?
人間の葛藤を描く作品から、都合の悪い職業や現実を排除してしまったら、芸術は何を表現できるんでしょう。
米津玄師さんやヨルシカには原作への敬意があるという比較も結構です。ただし、そこまで言うなら双方の作品の具体的な表現を比較してほしい。
好きなアーティストの再解釈はリスペクト。嫌いなアーティストの再解釈は冒涜。そんな採点基準では音楽批評になりません。過去の『コロンブス』も、今回の作品を自動的に有罪にする根拠にはならない。
もちろん、大森さんの意図が正しければ演出もすべて正しい、という話ではありません。
描写が特定の職業への偏見を強めていないか、意図が映像から十分に伝わるか。そこは厳しく批評していいんです。でも、それなら具体的な場面と理由を示すべきでしょう。
僕が一番残念に思うのは、
「作品への敬意」を説きながら、
作品を読み解く努力を飛ばし、
制作者やファンへの罵倒に走ってしまうことです。
「信者」「バカ」「クソ」と並べても、
音楽的な反証は一つも増えません。
音楽家の作品には、好き嫌いを超えて、
一つひとつの表現を検証する価値があります。
そして批評する側にも、言葉を選ぶ責任がある。
最後に、あなたの言葉を少しお借りしましょう。
「どんな意見の主張があれど、アーティストの作品を
こういう言葉も選ばず罵倒するのは、
失礼なことこの上ないと思うけどな。」
さらに言えば、作品への敬意を説きながら、
その作品を愛する人たちまで一括して侮辱する。
「版権元からすれば不快極まりないだろ」と他人の気持ちを代弁する前に、その投稿こそ読んだ人を不快にしていないか、言葉選びを考えてみてはいかがでしょう。
敬意を要求する人が、まず敬意を示せていない。
これほど皮肉な音楽批評もありませんね。😅🎸
通りがかりで気になったので👀…
まあこれはいわゆるAIのハルシネーションの話ですね。AIを過信して痛い目をみる怖すぎる事例ですね😅
この引用投稿はその通りな話ですけど、ちょっと脱線して音楽界隈の方も😅
【AIが毒キノコを食べさせる時代に、SNSでは音楽の毒キノコを
配っている人がいる10箇条🤔🤔🤔】
「AIが言ってた!」
「Googleに書いてた!」
「動画を見れば分かる!」
……ってそれ、あなた自身はいったいそれの何を確認したんですか?🤣
AIが食用と判定したキノコを食べ、
実際には毒キノコだったという事故が
報じられました。これは笑えない話。
でも僕が怖いのは、AIの間違いそのものより、もっともらしい回答を見た瞬間、人間が考えるのをやめてしまうことなんです。
音楽のSNSもよく似た現象があります。今日はそんな「情報の毒キノコ」を見分ける10箇条ww。🎸
①【検索結果を、神のお告げにする🔮】
「Googleにそう書いてあった!」
いや、Googleは情報を探す道具であって、真偽の保証書じゃありません。
検索できることと、
検証できることは別なんです。
②【AIの回答をそのまま自分の知識にする🤖】
AIに「この歌手は下手?」と聞いて、
出てきた文章を自分の評論として投稿。
それ、知識が増えたんじゃなくて、
文章が増えただけかもしれません。🤣
AIは補助輪にはなる。
でも自分で漕がなきゃ進めない。
③【専門用語を盛れば、専門家になれると思う📚】
「ミックス!ベルティング!メリスマ!」
用語が増えるほど立派に見える不思議。
でも、どの音で何が起きたのか説明できない。
料理名を100個知っていても、味見しなければ料理評論にはならないんです。
④【動画を貼れば、説明責任が消えると思う📱】
「これ見れば分かる!」
いや、あなたが何を根拠に、
どう判断したのか聞いてるんです。😂
証拠を見せることと、
証拠を読み解くことは違います。
⑤【切り抜き一口でフルコースを採点🍽️】
ライブの数秒を見て
「この歌手はいつも音程が悪い!」。
一場面の評価と、
歌手全体の能力評価は別。
試食一口で店の全メニューに星一つ。
なかなか豪快な評論家です。🤣
⑥【推しの欠点は表現、
嫌いな歌手の表現は欠点⚖️】
推しの声の裏返りは
「感情があふれた!」。
嫌いな歌手なら「発声が未熟!」。
現象だけでは技術的な失敗か
演出的な選択か決められません。
採点基準が歌手の名前で変わるならそれは音楽批評じゃなくファン投票です。
⑦【多数派の意見を、科学的事実にする📊】
「みんな言ってるから間違いない!」
でも100人が同じ誤情報を引用しても、
独立した根拠が100個になるわけじゃない。一つの毒キノコを100人で回覧してもシイタケにはなりませんww🤣。🍄
⑧【訂正されると、なぜか人格攻撃に
進化する💥】
「その発声の説明、根拠は?」
「お前は信者だろ!」
あれ?音楽の話はどこへ?😅
論点が迷子になったら、
まず元の曲まで連れ戻しましょう。
⑨【不確かな話ほど断定口調で拡散する📢】
「絶対に下手!」
「プロなら全員分かる!」
本当に詳しい人ほど、
録音条件や楽曲の要求、
判断できない部分も考えます。
自信満々の文章と、
確かな情報は別物。
声量で証拠は増えません。
⑩【最大の問題は、間違いを
人に食べさせること🍄】
自分の勘違いなら、学び直せばいい。
でも未確認の情報で
アーティストを侮辱し、
他人に拡散させ、
評判を傷つけるなら話は別です。
批評は厳しくていい。
僕だって作品の問題点は指摘します。
ただし、事実、推測、好み、
技術的評価を混ぜないこと。
\_( ゚ロ゚)ここ重要!混ぜるな危険⚠️
間違いに気づいたら訂正すること。
それが発信する側の
最低限の責任でしょう。
AIは便利です。
僕も道具としての可能性は認めています。
(まあ今のところあまり用はないがw)
でも、AIが出した答えを疑わず、
検索結果を読み比べず、
目の前の音楽さえ
自分の耳で聴かなくなったら、
何のための知性でしょう。
「AIのハルシネーションより怖いのは、人間がその幻覚を
自分の確信に変えてしまうこと。」
毒キノコは食べなければ防げる。
でもSNSの誤情報は、誰かが拡散すれば知らない人まで巻き込んでしまう。
それが言葉だけのSNSの世界の
怖いところ。嘘も方便になる恐ろしさ。
「情報を食べる前に確かめよう。
そして、自分で確かめていない
毒キノコを、他人の皿に盛るのは
やめましょう。」🤣🎸
ネットでみかけた。「AIが大丈夫って言ったから」で毒キノコを食べて救急搬送される事故が相次いでるの、現代のテクノロジー過信の怖すぎる例。
山で採ったキノコをGoogleレンズや画像認識AIに見せたら「シイタケかヒラタケ。食べられる」と回答。
安心して焼いて食べた結果、激しい嘔吐で緊急入院。実態は日本で最も事故が多い毒キノコ「ツキヨタケ」だった。
専門家によると、画像認識AIの毒キノコ判定の正答率はたったの約6割。
ひだの構造、柄の断面、匂い、生育環境すら無視して「見た目の画像データ」だけで生死を判定させるのはロシアンルーレットと同じ。
「AIは万能」という錯覚が、数ミリの誤認識で人間の命をあっさり奪う時代に入ってる。














