台風が近づき、雨が降ったり止んだりしている。こんな日は、書斎で本を読んだり、文章を書いたりするのがいちばんいい。夕方、雨が少し弱まったので、近所へ外食に出かけた。すると、ふと目に飛び込んできた情景があった。天気が悪いからこそ、いつもなら見過ごしてしまうものが、目に留まることがある。雨の日には、雨の日にしか出会えない風景がある。#台風30号
中国人のユーモアは、また少し違う。会話では、相手の言葉を受けて、すぐに別の意味へと転がしていく巧みさがよく見られる。たとえば、「最近、痩せたね」と言われた人が、「そう、財布も一緒に痩せたよ」と返す。体形の話を経済事情にすり替えてしまうわけだ。自分の境遇を嘆く代わりに、ひとまず笑いに変えてみせる。そこには、現実の厳しさを知っている人間ならではの機知がある。note.com/maodanqing/n/ne1711…
このごろ、中国で日本に関する書籍を出版するには、以前よりも時間がかかるようになった。翻訳書も例外ではない。審査に時間を要するうえ、以前なら比較的すんなり通っていた企画も、今ではそう簡単には進まないらしい。日中関係の緊張が、出版という仕事の時間にまで影を落としているのだろう。本来、本は国境を越えるために書かれるものではないかもしれないが、しかし、ひとたび海を渡れば、そこには別の言葉があり、別の読者がいて、ときには別の事情も待ち受けている。書き上げるまでの時間とは別に、読者の手に届くまでの時間がある。その時間が、今は以前よりも長くなっている。
来年の上海ブックフェアに向けて、本を出したいと思っている。何を選び、何を伝えるべきなのか。まだ考えているところだ。
時代の空気を読むことと、時代の空気に従うことは、よく似ているかのようで、実際のところで、やっぱり違う。
本を出すというのは、原稿を仕上げることだけではない。誰かがそれを読み、そこから何かを受け取る日まで、待つことでもあるから、今は、その待つ時間まで含めて、本について考えている。#読書好きと繋がりたい
日本の外食産業を考えるとき、マクドナルドの存在は興味深い。アメリカ発の外資系企業でありながら、日本社会に深く根を下ろし、誰もが知る日常の風景になっている。排他的な空気が漂う時代に、なぜ海の向こうから来たハンバーガーが、これほど日本人の生活に溶け込んだのか。外国のものを遠ざけることと、外国のものを受け入れること。その境目にあるのは、国籍なのか、それとも日々の暮らしの中で積み重ねられたノーハウなのか。
マクドナルドの広告を眺めながら、ふと考えた。人は「外国」を拒むことがあっても、自分の生活にすっかり馴染んだものまで、簡単には拒めないのかもしれない。#マクドナルド
断片には断片の力がある。しかし、断片だけでは見えてこないものもある。村上龍を悼む言葉がSNSにあふれるなか、別の問いを考えていた。われわれは一人の作家の死を悼んでいるのだろうか。それとも、自分の心に響く言葉を手がかりに、それぞれの胸のなかで、自分だけの村上龍を作り直しているのだろうか。
文学は読まれるたびに新しい命を得る。けれども、まだ作品全体が読まれないうちから、言葉だけが切り取られ、共有され、特定の意味を与えられてしまうこともある。#村上龍 #村上龍さん note.com/maodanqing/n/ncce92…
昨日、八年間暮らした旧家の近くへ用事があって出かけた。街角の小さな喫茶店も、解散して帰っていく野球少年たちも、何もかも昔のままだった。駅の近くで売られているスイーツも、相変わらずおいしい。かつて暮らした家の庭では、お母さんが二人の子どもにシャボン玉を吹かせていた。ぼくが敷き詰めた白い玉砂利の庭は、手入れが行き届かなくなったのか、ところどころに雑草が伸びていた。そこを愛猫のクマちゃんが走り回っていた頃の姿が、ふと目に浮かんだ。
駅に戻り、三宮までの切符を買おうとしたとき、不意に時空を超える機械のスイッチが入ったような気がした。あれほど何度も往復した道なのに、いつの間にか運賃を忘れてしまっていた。記憶の中では、あんなにも身近だった道のりなのに。遠い昔になってしまったのだなと思った。
ホームに立つと、夕陽が目に入った。こんな夕陽も、どこかで見たことがある気がした。見覚えがあるのに、もう同じ時間には戻れない。そんな夕暮れだった。それにしても、美しい夕陽だった。
そんな設定を聞いて、ふと思った。そもそも小説を書くという行為に、時間の制限は必要なのだろうか。衝動に駆られて書くのか。それとも、考えに考え抜いた末に、一つの言葉へたどり着くのか。小説を書く時間を区切れば、そこにはイベントとしての面白さが生まれる。しかし、それは文学そのものを問うこととは、少し違うのかもしれない。
時間を競うことはできても、文学の深さまで時計で測ることはできない。むしろ、そんな条件を設けること自体が、文学とは何かを問い直す一つの仕掛けなのだと思う。
豪華列車で24時間以内に小説を 日仏の人気作家16人が挑戦 mainichi.jp/20261022/k00/00m…
文藝春秋社の仕事をするようになったのは、もう二〇数年前になる。文春文庫を出した頃は、編集者たちと頻繁に顔を合わせる時期でもあった。一つの出版社に多くの秀才が集まり、やがて独立して、自分の力で羽ばたいていく人も何人もいた。今月も知人のひとりもそうだった。文藝に携わる人たちの仕事への情熱と、その歩みに感銘を受ける。出版業は決して楽な道ではないから、それでも、一つの場所で経験を積み、やがてそこから卒業して、自分の翼で飛び立つ。人を育て、いつか巣立たせる。出版社という場所には、そんな学校のような一面もあるかもしれない。
村上龍さんに一度お会いしたことがある。東京で、中国からの取材班と一緒だった。今も印象に残っているのは、あの明るさである。そして、世界文学に対する深い造詣。言葉を交わすなかで、その知識の広がりと、文学を世界のなかで捉える視野の広さを感じた。人との出会いは、長い時間を経ても、ふとした瞬間に記憶のなかから立ち上がってくる。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
作家の村上龍さん死去、74歳 「限りなく透明に近いブルー」
nikkei.com/article/DGXZQOUD2…
ぼくと同じ時代に北京から日本へやって来た人たちの中には子どもとの間で、ちょっと気まずい思いをすることがある。日本で育った子どもが親と一緒に出かけると、親の話し声が大きいと感じることがあるからだ。子どもたちの耳には、日本人の話し声は控えめで、中国人の親の声はそれに比べてずいぶん大きく響くらしい。時には、子どもが遠慮なくこう言う。
「あなたたち中国人って、どうしてそんなに声が大きいの?」
子どもにしてみれば、ただ周囲がもう少し静かであってほしい、というだけなのかもしれない。けれど、そのひと言を親が聞くと、話は少し違ってくる。思わず気まずさを覚え、心のどこかに、なんとも言えない複雑な思いがじんわりと残るはず。#日中関係
しかし、親が日本へ渡った時代と、子供たちが今の中国を見る時代とでは、社会も生活環境も大きく変わっている。親の苦労が間違いだったわけでも、子供たちの感じ方が間違っているわけでもない。note.com/maodanqing/n/nf42fe…
電車の中で、ふと目に留まった広告のキャッチコピー。「人にグーで、人生パー!」面白いと思い、そのまま中国のSNSに投稿してみた。すると、これは中国語にどう訳せばいいのか、それとも、そもそも訳せない言葉なのか、という問いが思いのほか大きな反響を呼んだ。グーとパー。じゃんけんの言葉遊びでありながら、人生の皮肉まで潜ませている。日本語では一瞬で伝わるニュアンスが、別の言語に移した途端、簡単には伝わらなくなる。
言葉は、意味を運ぶだけの乗り物ではない。その国の文化や、ものの考え方、さらには人々の笑いの感覚まで背負っている。翻訳できるかどうかを考えること自体が、すでに異文化との対話なのかもしれない。
たった一行のコピーが、海を越えてこんなに人を巻き込む。やっぱり、言葉って面白い。#敬語 #阪神電鉄
昨日、在中国日本大使館のSNSコラムに、「日本語で中国を書いた作家陳舜臣は、なぜ今なお読む価値があるのか」という文章を発表した。陳先生は、日本語で中国を書き続けた人で、自ら書こうとしたのは、単に中国という国の歴史や文化ではなかった。その向こう側にいる人間を見つめ、異なる言葉や歴史のあいだに、理解のための小さな橋を架けようとしていたのではないか。
日中両国の距離が、時に近づき、時に遠のく今だからこそ、陳先生の仕事をいま一度読み返してみたい。相互理解という言葉は、口にするだけなら難しくない。けれども、それを一生の仕事として書き続けることは、決して容易ではない。
陳舜臣という作家が残したもの。それは過去の文学遺産であると同時に、今日を生きるわれわれへの問いかけでもある。#日中関係
考えてみれば、日中関係を千年以上という長さで支えてきたのは、必ずしも国家の外交だけではなかったのだろう。むしろ、海を渡った一冊の書物や、異国の言葉を学ぼうとした一人の人間の好奇心、そして相手の暮らしや思想を知りたいという、ささやかだが、消えることのない願いだったのかもしれない。#日中関係 note.com/maodanqing/n/nfc187…









