<2コリント3:18>
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
福音書には、盲目だった人が、イエス様に目を開けていただく話がたくさん出てきます。
これは、身体的に盲目だったのを治してもらうことを明示しているだけでなく、霊的に盲目だったのを治してもらうことを暗示しています。聖書全体の趣旨を考えると、後者の意味の方が、ウエイトが重いと考えます。
<ヘブル12:2>
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
<詩篇34:4-6>
私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。
彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。「彼らの顔をはずかしめないでください。」
この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、彼らはすべての苦しみから救われた。
<出エジプト3:14>
神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。」
<エペソ6:17-18>
救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。
<ヨハネ5:30>
わたしは、自分からは何事も行なうことができません。ただ聞くとおりにさばくのです。そして、わたしのさばきは正しいのです。わたし自身の望むことを求めず、わたしを遣わした方のみこころを求めるからです。

