Beans豆(無能な働き者) retweeted
みゃーこ先輩お誕生日おめでとう🎂✨
お気に入りのイラスト再掲です🙌
#九條都生誕祭2026
#九條都誕生祭2026
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明日3日に迫ったアメリカの中間選挙は、下院選では民主党の優位、上院選では接戦の予想が報道されています。
「トリプルレッド」を背景に、大きな政策変更を押し進めてきたトランプ大統領ですが、今後より一層、大統領令(行政命令)に頼った政策推進が予想され、国内の対立が深まることが懸念されています。
強力な大統領の権限と、アメリカ国内の分断は、アメリカ建国の歴史に遡ることができます。
建国者たちが「混合政体論」に基づく「共和政」の国家を作ろうとしたところに、独立性の高い大統領の原点があり、「革命観」の相違をめぐって、アメリカの「分断」は建国直後から始まっていました。
今日のアメリカ合衆国を理解する鍵は、「アメリカ革命」という原点にあります。
石川敬史『アメリカ革命史——制度化された内戦とデモクラシーの間』は、アメリカ建国の歴史を、国家の構造と政治思想に着目しながら読み解く1冊です。
ぜひ、お手に取ってご覧ください。
onlineshop.yamakawa.co.jp/pr…
#山川出版社 #石川敬史 #アメリカ中間選挙
ジョン・F・ケネディ『勇気ある人々』の主張は、政治家にとっての「勇気」とは、自分に今の地位を与えた所属党派や有権者の猛反発を受けるだろうことを承知で、自分が知り得た知見と倫理・良心に従って実行に移すことなんだということ。民主政においてはこれが本当に難しい。
eijipress.co.jp/products/202…
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教育行政の事はもちろん知らん訳ではないのではっきり言うと,国公立大学や公立学校(学部等部局含む)の設置と定員は私立に配慮して過度に抑制されてきた経緯がある.
地域によってはこれらの官立大学・学校で学生を収容しきれず,やむなく私立に行かざるを得ない層が出てくる.
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米国の状況にも日本の未来への警告とも読める。フランスの現状とその分析から学べることは少なくない。
「街頭の暴力がその期待を傷つければ、極右は強く叫ばなくても『秩序を回復する勢力』
として支持を得る。これが,『革命前夜ではなく、権威主義前夜』の意味。」
「時代の底流にあるのは、革命の気運ではなく、ファシズムへ傾く空気だ」」
パトリック・ブーシュロン(歴史家 コレージュ・ド・フランス教授)
仏リベラシオン紙 インタビュー
いったい、啓蒙思想と革命の国で何が起きているのか。高校生の抗議運動や社会運動、そして10月17日にフランスの複数の都市でデモ行進の周辺で激化した略奪行為から、私たちは何を読み取るべきなのか。彼らのスローガンの一つが宣言するように、私たちはどのような意味で「近現代という時代と決別した」のだろうか?
liberation.fr/idees-et-debat…
若者の抗議運動には民主主義を再生する可能性がある一方、政府の抑圧的な対応や社会の混乱は、革命よりも権威主義への移行を後押ししかねない。
(以下は、紹介的要約)
1.10月17日の出来事は、異なる時間軸を持つ運動の交差として見るべき
10月17日の大規模動員を一括りの「騒乱」として扱わず、少なくとも三つの流れを区別する必要があると述べる。
物価高と生活不安に対する社会運動。8月初めから準備され、記事によれば80万人が街頭に出た。黄色いベスト運動と生活の脆弱さへの不安、正義への要求を共有しながらも、その単純な再現ではない。
高校生・学生の運動。海外県マヨットから始まり、パリ近郊、さらにパリへと広がった。教育や生活の機会が居住地域によって左右されることへの異議と、地域・階層を越えた連帯が中心にある。
暴動や略奪として現れた怒りと絶望。これらは、都市政策の長期的な後退や社会的放置という別の歴史を持っている。
特に評価すべきは、若者が社会全体に「政治的な喜び」を取り戻したことだ。ここでいう喜びとは、単なる高揚感ではなく、自分たちには社会を変える力がある、という行動可能性の拡大を意味している。
2.政府の対応は、対話よりも軽視と警察的抑圧に傾いている
ブシュロンによれば、創造的で活力ある若者の運動に対し、政府が示したのは政治的な軽視と警察の強硬対応だった。
教育相が高校生・学生と初めて面会したのは10月26日で、要求について話し合うためではなく、遅く不十分な決定を伝えるためだった。未成年者8,000人の身柄拘束、2016年以降の治安維持方針は暴力的であると同時に効果も乏しい。
問題の根には、国家が教育・都市政策・公共サービスを通じて応答する能力を失い、治安強化の言葉に依存していることがある。
3.「革命前夜」ではなく「権威主義前夜」
タイトルの発言は、左派への警告。
ブシュロンは、暴動が常に人々を解放するわけではないと強調している。革命へ向かう状況では解放的な役割を果たす場合があっても、現在のフランスでは、混乱や法治の衰弱が極右の国民連合(RN)を有利にする、と考えている。
人々が求めているのは、社会的公正と、それを保障する共和的秩序だ。街頭の暴力がその期待を傷つければ、極右は強く叫ばなくても「秩序を回復する勢力」として支持を得る。これが,「革命前夜ではなく、権威主義前夜」の意味。
左派指導者が明確な声を上げられない状況も嘆かわしい。ただし、1968年などの前例を手本にすればよいとも考えていない。歴史的類推に頼りすぎると、新しい状況を古い枠組みで理解し、判断が遅れるからだ。
4.マクロン時代の最大の損失は「政治的な明瞭さ」
彼は現在を、行き先の定まらない「間(あいだ)の時」と表現する。政治家は失敗を避けることに執着し、何を目指し、何に対抗するのかを明確に示せなくなっている。
その混乱の中心にマクロンがいる。極右を阻止するという理由で二度選ばれた大統領が、結果として極右への道を開いている。
ここで危険なのは、破局が一度の劇的な事件として訪れるとは限らないことだ。「このまま進むしかない」という諦めが積み重なり、最悪の事態が徐々に受け入れられていく。若者の運動は、その諦めに対し、未来はまだ決まっていないと示す行動といえる。
5.若者の「近現代の終わり」という標語には、二つの意味がある
高校生運動の標語について、ブシュロンは二通りの解釈を提示。
悲観的に読めば、若者は政治的・環境的なカタストロフをもたらした制度や生活様式を継承したくない、と宣言している。自由民主主義を中心とする「近現代」という時代そのものが限界に達した、という解釈になる。
一方、希望を見いだす解釈もありうる。若者は共和主義の約束を放棄するのではなく、その履行を求めている。恵まれた高校生が「自分たちの特権は、すべての人の権利になるべきだ」と訴えるのは、教育による解放と平等という、1789年以来の理念を実現せよという要求だ。
その意味で、要求が現実的で穏当であること自体が、現状への根本的な批判になっている。グレタ・トゥーンベリに象徴されるように、子どもが大人に「真剣に責任を果たしてほしい」と迫る世代関係の逆転が起きている。
6.世界の若者は、デジタル技術と歴史意識を行動の力にしている
記事は、インド、セルビア、イタリア、フランスの若者の運動を取り上げている。ブシュロンは、それらを「SNSによって孤立した世代」という見方への反証と捉える。
ONE PIECEのミームなどの共通文化は、連帯の合図として機能し、若者たちによる新テクノロジーの技術的な習熟は監視や統制をかわす手段にもなる。共通するのは、不公正、公共サービスの劣化、閉ざされた将来、そして若者を侮辱する政治エリートへの反発だ。
ブシュロンが若者に見いだす歴史意識とは、年表や過去の知識ではない。現在の社会は当然の結果ではなく、別の形にもなり得たし、これから変えることもできるという歴史の理解だ。
さらに、2007~2009年生まれの世代が十代で経験したコロナ禍を重視すべきだ。人々は隔離され、同時期に閉じ込めを経験した。その共有体験の政治的意味を、私たちの社会は十分に受け止めてこなかった。
7.市民社会には民主主義の活力があるが、制度政治につながらない
ブシュロンは、政党政治の外側では民主的な活動が非常に盛んだと評価する。ボランティア、市民団体、地域の取り組みには、創造性と連帯が存在している。
気候や終末期医療をめぐる市民会議も、専門家ではない人々が討議を通じて集合的な知を生み出せることを示した。しかし、その成果が政策に反映されないことが失望を生んでいる。
黄色いベスト運動の際に集められた要求についても、市民の声を集めながら聞き届けない政治の象徴となった。批判は、参加の機会がないことだけでなく、参加しても結果につながらないことに向けられている。
組織された市民社会から新しい政治勢力が現れない背景には、劣化した第五共和政の制度のもとで、国政に携わること自体が人を消耗させ、善意の担い手を遠ざけている。
8.財政危機の解決には、富の集中と相続の問題に切り込む必要がある
経済面では、政府は自ら財政上の選択肢を狭めたと批判。マクロンが掲げた「不労所得に依存する社会」との決別は実現せず、富裕層への資産集中が進んだ。
公的債務の増大と同時に民間資産も大きく増えたことを挙げ、債務問題を国全体の富の不足だけで説明できないと論じる。1789年、1920年、1945年の経験を参照し、大きな債務危機には富の再分配と税制の抜本的変更が伴ってきたと述べる。
提案するのは、国民投票による正統性を持たせた連帯税だ。これは財源確保だけでなく、負担の不公平によって傷ついた社会契約を修復する政治的手段でもある。
相続問題も重要だ。2025~2040年に9兆ユーロが相続されるという推計を紹介し、対策を取らなければ出生によって地位が固定される「旧体制」へ近づく、と警告。左派がこの問題をもっと強く争点化すべきだと主張する。
9.言葉の劣化が、人種差別と暴力への道を開く
暴動・移民・犯罪を安易に結びつける政治家やメディアの言説にも、強い懸念を示す。
公共の言葉の粗雑化は単なる表現の問題ではない。複雑な現実を単純な敵味方に還元し、特定の人々を危険な存在として語ることが、憎悪を解き放つ準備になる。パリ西郊外の自治体トラップでの人種差別的殺人もその例だ。
文化政策についても、魅力的な国家物語を競うことより、文化、創作、知性、情報への投資を共和国の基礎として守ることを重視すべき。極右が権力を握った場合には、威嚇・廃止・検閲が進むと警告。
10.歴史の役割は、冷静さと多様性を通じて自由の可能性を開くこと
最後に、ブシュロンは歴史家の姿勢として「冷静で、多様で、過剰なほど自由であること」を改めて支持する。
冷静さとは、人々の想像力を煽って危機を増幅させないこと。多様性とは、自分に似た人々だけで議論しないこと。市民会議や古代アテネの経験を参照し、集合的知性を生む鍵は人数だけでなく、参加者の違いにあると述べる。
社会科学が暴力や対立を理解しようとすることを、それらの正当化と同一視してはならないと強調する。他者を理解する営みは、自分自身の自由を広げることにつながるのだ。
権威主義への移行を必然として受け入れず、若者の行動、市民の討議、再分配、多様な他者との関係の中に、別の未来をつくる力を見いだそうとするインタビュー記事。
(要約では、随所のヴィヴィッドな表現が拾えないのですが、たいへん深い記事、わが国の状況にも様々な点で共通している)
これなんですよ、私が公立校の教員を好きになれない理由は。
授業中にうなづく事が高評価となったり、お前から質問に来いという、特権的思想。教師による恣意的な判断基準で運用され、しかもその基準すら公表されない体質。
そりゃ教員は世間知らずと言われますよ。バカは保護者にもこの態度だもん。
元教員として再通知します。
提出物を出しているのに内申が上がらない。
その原因は3つだけ。
でもまだまだこの3つは知られていない。
学校で言うことじゃないので、ここで言います。
私は14年間、公立中学校で教員をしていました。
内申点をつける側にいたんです。
だからわかる。
提出物を出すのは「最低ライン」でしかない。
出していれば上がるわけじゃない。
実際、提出物を毎回出しているのに、
内申が3から上がらない生徒を何人も見てきました。
保護者の方は「ちゃんと出してるのになぜ?」と困惑する。
一方で、途中から急に4や5に上がる生徒もいた。
その差は何か。
今から3つ、具体的にお伝えします。
以前指導した生徒の話です。
中2の2学期、内申が3だった。
提出物は毎回出していた。
ノートも丁寧に書いていた。
でも3学期、ある3つを変えただけで、
内申が4に上がりました。
①授業中に「うなずく」。
これ、馬鹿にしないでください。
教員は見ています。
「この生徒は話を聞いているか」を。
先生が説明しているとき、
目を見て、うなずく。
たったこれだけで印象が変わります。
なぜか。
「関心を持っている」というサインだからです。
無表情で聞いている生徒と、
うなずきながら聞いている生徒。
評価が同じになるはずがない。
教員は30人以上を同時に見ています。
その中で「反応がある生徒」は記憶に残るんです。
さっきの生徒はこれを意識しました。
「先生の目を見て、うなずく」。
たったこれだけ。
でも授業態度の評価が明らかに変わったそうです。
②質問を1学期に1回でもする。
質問する生徒は本当に少ないです。
「わからないと思われたくない」
「恥ずかしい」
そう思って黙っているお子さんが多い。
でも教員側から見ると、
質問する生徒は「学ぶ意欲がある」と映ります。
これは「主体的に学習に取り組む態度」の評価に直結します。
1学期に1回でいい。
授業後に「ここがわからなかったんですけど」と聞く。
これだけで「関心・意欲」の評価が上がります。
質問の内容は簡単なことでいいんです。
難しいことを聞く必要はありません。
「聞きに来た」という行動そのものが評価されます。
③定期テストで「苦手単元」を1つ克服する。
提出物と授業態度を整えても、
テストの点が毎回同じだと厳しい。
「伸びている」という証拠が必要なんです。
全部を上げる必要はありません。
苦手な単元を1つだけ集中的にやる。
その単元で10点上がれば、
「努力している」と評価されます。
教員は「前回と比べてどうか」を見ています。
点数の絶対値より「伸び」が大事なんです。
この3つ、特別なことじゃないですよね。
①授業中にうなずく
②1学期に1回質問する
③苦手単元を1つ克服する
でも9割の生徒はやっていない。
知らないからできない。
だから差がつくんです。
さっきの生徒は、
この3つを意識しただけで内申が3→4に上がりました。
特別な才能があったわけじゃない。
「やるべきこと」を知って、実行しただけです。
内申点は「先生との関係性」で決まる部分が大きい。
提出物を出すのは当たり前。
その先の「あと一歩」ができるかどうか。
ここで差がつきます。
11月の期末テストが終われば、
2学期の内申が確定します。
まだ間に合います。
今日からお子さんに伝えてください。
保存推奨。
三者面談の前に見返してください。
当然、この3つだけではありませんが
「やってない」はアウトです。
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内申がクソで全く信用できない理由を適切にポストしてくれている。
元教員として再通知します。
提出物を出しているのに内申が上がらない。
その原因は3つだけ。
でもまだまだこの3つは知られていない。
学校で言うことじゃないので、ここで言います。
私は14年間、公立中学校で教員をしていました。
内申点をつける側にいたんです。
だからわかる。
提出物を出すのは「最低ライン」でしかない。
出していれば上がるわけじゃない。
実際、提出物を毎回出しているのに、
内申が3から上がらない生徒を何人も見てきました。
保護者の方は「ちゃんと出してるのになぜ?」と困惑する。
一方で、途中から急に4や5に上がる生徒もいた。
その差は何か。
今から3つ、具体的にお伝えします。
以前指導した生徒の話です。
中2の2学期、内申が3だった。
提出物は毎回出していた。
ノートも丁寧に書いていた。
でも3学期、ある3つを変えただけで、
内申が4に上がりました。
①授業中に「うなずく」。
これ、馬鹿にしないでください。
教員は見ています。
「この生徒は話を聞いているか」を。
先生が説明しているとき、
目を見て、うなずく。
たったこれだけで印象が変わります。
なぜか。
「関心を持っている」というサインだからです。
無表情で聞いている生徒と、
うなずきながら聞いている生徒。
評価が同じになるはずがない。
教員は30人以上を同時に見ています。
その中で「反応がある生徒」は記憶に残るんです。
さっきの生徒はこれを意識しました。
「先生の目を見て、うなずく」。
たったこれだけ。
でも授業態度の評価が明らかに変わったそうです。
②質問を1学期に1回でもする。
質問する生徒は本当に少ないです。
「わからないと思われたくない」
「恥ずかしい」
そう思って黙っているお子さんが多い。
でも教員側から見ると、
質問する生徒は「学ぶ意欲がある」と映ります。
これは「主体的に学習に取り組む態度」の評価に直結します。
1学期に1回でいい。
授業後に「ここがわからなかったんですけど」と聞く。
これだけで「関心・意欲」の評価が上がります。
質問の内容は簡単なことでいいんです。
難しいことを聞く必要はありません。
「聞きに来た」という行動そのものが評価されます。
③定期テストで「苦手単元」を1つ克服する。
提出物と授業態度を整えても、
テストの点が毎回同じだと厳しい。
「伸びている」という証拠が必要なんです。
全部を上げる必要はありません。
苦手な単元を1つだけ集中的にやる。
その単元で10点上がれば、
「努力している」と評価されます。
教員は「前回と比べてどうか」を見ています。
点数の絶対値より「伸び」が大事なんです。
この3つ、特別なことじゃないですよね。
①授業中にうなずく
②1学期に1回質問する
③苦手単元を1つ克服する
でも9割の生徒はやっていない。
知らないからできない。
だから差がつくんです。
さっきの生徒は、
この3つを意識しただけで内申が3→4に上がりました。
特別な才能があったわけじゃない。
「やるべきこと」を知って、実行しただけです。
内申点は「先生との関係性」で決まる部分が大きい。
提出物を出すのは当たり前。
その先の「あと一歩」ができるかどうか。
ここで差がつきます。
11月の期末テストが終われば、
2学期の内申が確定します。
まだ間に合います。
今日からお子さんに伝えてください。
保存推奨。
三者面談の前に見返してください。
当然、この3つだけではありませんが
「やってない」はアウトです。










































